希蝶 のコメント

希蝶
No.222 (2020/12/19 23:25)
 生放送、お疲れさまでした。そして、ツイッター祭り、これが「最後の授業」、もとい、ツイッターになるかと思うと…。ツイッター万歳!

 などとふざけるのはやめておいて、Q&Aにも記した、日露国境の話を補足します。

 樺太日露国境天測境界標
 第1号 第4号 稚内市 樺太記念館
 第2号 根室市歴史と自然の資料館
 第3号 札幌市 北海道大学内博物館

1→オホーツク海に面した鳴海に設置されたもので、1987年にソ連国境警備隊が撤去し、台座も破壊。現地関係者が保管していた本物は1990年代にサハリン州郷土博物館に収蔵・展示。「天第壱號明治三十九年」と掘ってあります。

2→冷戰とソ連崩潰の混乱で国境標石は撤去されましたが、2号のみは村から離れた場所にあったため、破壊を免れ、スミルヌイフ(気屯)で日ソ両軍の戦没者の遺骨蒐集をしているアレクサンドル・ツイガノフ氏が所有しており、1997年に根室市の有志グループ「根室・サハリン文化交流実行委員会が譲り受け、ロシア文化省の許可を得て、根室市への移管が実現したものです。

3→戦前樺太を代表する観光名所でしたが、1938年の岡田嘉子と演出家の杉本良吉が亡命をきっかけに翌年国境地帯への一般人の立入を禁ずる国境取締法が制定されました。それでも標石がみたいという観光客の要望で、樺太文化振興会はレプリカをつくり、当時の樺太庁博物館(現在のサハリン州郷土博物館)の前庭に設置しました。そのままレプリカは残されましたが、いきさつを知らぬソ連側は実資料として長く扱ってきており、現地には台座のみ残され、レプリカは同博物館にあります。実際の3號は戦後まもなくソ連軍が撤去し、行方不明だそうです。

4→歌人北原白秋ら多くの日本人が訪れたところで、間宮海峡に面した安別の丘におかれていました。白秋は「鷲ひとつ石のうらべに彫りにけり そなたにあらき虎杖(いたどり)の花」という歌を詠んでいます。1990年に撤去され、現在はサハリンの民間人が所有している。現地には台座のみ残されています。

 国境の画定作業は1906年から翌年にかけて日露両国で共同で行われたもので、標石のデザインは地理学者志賀重昂によるものです。日本の石工が現地まで赴いて刻み、素材は花崗岩で愛知県岡崎産説が有力です。現地で彫刻を行ったため、文字やデザイン・外形、大きさが少しずつ異なっています。
 標石の位置は天体觀測で定められ、東西133キロメートルにおよび国境線には国境標石四基のほか、地上測量による小型の中韓標石17基、標木19本が設置されました。森林地帯は10メートルの幅で木が伐採され、間宮海峡附近は壕が掘られました。

 日本の陸上国境はサハリン(樺太)のものしか存在していません。

 以上、こういう話も口直しでよいのかな。しかし、それにつけても、ツイッター社の横暴が許せないです。ハッシュタグ祭りに参加されたみなさんへ、お疲れ様でした。
 『コロナ論2』、何としても大ヒットさせましょう!

このコメントは以下の記事についています

継続入会すると1ヶ月分が無料です。 条件を読む

小林よしのりチャンネル

小林よしのりチャンネル

月額
¥550  (税込)
このチャンネルの詳細