創作茶魔語(絵無し)千手観音菩薩 のコメント

昔から謎に思ってました。外人の、特に白人のあのキッツイ臭い。ヾ(≧"≦)タマラン!
あの臭いがしたら、半径10メートル以内に白人がいる、みたいな。
今週の「SPA!」『ゴー宣』、というか『コロナ論』第10章で、その謎が解けました!

以前誰だったかが言ってました。「花の都パリがあんなに臭いとは思わなかった」と…。
欧米では、『こち亀』の両さんの不潔ネタは、ギャグにならないのか……。(∵;)オッタマゲノ ゲ!


そして、先日の道場で、
「リベラルは何故失敗したか?」
「日本の自称リベラルは何故偽物なのか?」
「日本に真のリベラリズムを建設し、立憲的改憲を実現させるにはどうすればいいか?」
これらの謎も解けました!

私は未熟なので、自分の意見には慎重なのですが、
これはかなり真理に近づいたのではなかろうかと、けっこう確信しております。σ(°∀°)ゞサア ドウダロウ?

その立役者、私めにとっての先日の道場のMVPは、失礼ながら倉持師範でも宇野氏でもなく、
三人目に質問したあの教師の方です♪
(あのレジュメは、ちょっと抽象的過ぎて、ああいうところもリベラルが誤解されてしまう原因なのでは?と。失礼……)
あの方の質問から展開された議論から、自分が学生だった頃のことを思い出しまして・・・・(="=;;)


私は高校生の頃は、かなり自由好き勝手にやってました。
朝起きて学校行くのがかったるいと思っていたくらいで、特に校則とかに不自由・窮屈さは感じず、
これといって世の中のことも自分の人生についてもな~んにも考えずに、アホなイタズラばかりして遊んでました。

受験勉強はそれなりに真面目にやってましたが、
焦って全力疾走するよりも、のんびり朝の清々しさを味わって登校する方がいいよねと、毎日遅刻してましたし、
先生に叱られても右から左でしたし、
卒業式も、私も宇野氏同様面倒に思って、最後の方だけちょこっと顔出して、卒業証書と卒業アルバムと担任の先生の小言を貰って終わりでした。

私の自由奔放さを妬んでか、なんか敵も多かったし、
本来なら落第させるところだったけれど、もう一年私の面倒なんかみたくないから卒業させたと、
そんなだらしないいい加減な生徒でした。

初期の『ゴー宣』の名作、「恩師アリさん」で描かれていた、
ひたすら快楽追求だけに生きていたという、「だらだらと、ぼけ~とするのが好きだった」という幼少期のよしりん先生、
私は高校生まであんな感じで生きてました。(ていうか、あれを読んでせ影響された?)


ですから、大学に行った時、よしりん師範とは逆に、ものすごく当惑してしまったのです。
「あまりにも自由過ぎる」と。

それまで唯一の私の束縛だった「受験勉強」からも解放されて、もう何していいか、何から始めたらいいか、全然分かりませんでした。
何となく選んだ授業はつまらなかったし、色々サークルはありましたが、どれも陳腐に思えて興味を引かない…。
入学してしばらくは図書館で本を読んだり、パソコンの操作を覚えてネットサーフィンしたりの日々。
正に『戦争論』にあった「浮遊した個」でした。

それで、親に学費を出して貰っている身だし、このままではいかん!と、強烈に自分を束縛してくれるものを強烈に欲したのです。
それで、よりにもよって最も縛られる「応援団」に入ってしまいました。

応援団では、しごかれたしケガもしたし色々大変な目に遭いましたが、
お陰で私も真人間として鍛え直されたと、今では感謝しております。


『リベリベ』にも、北朝鮮に戻ってしまった脱北者のことがありましたが、
人間、人の体験談を聞くよりも自分で体験したことの方が、「百聞は一見に如かず」で、よりその事象についてリアルに深く考えられるということです。
はっきりいって、これは思い出したくもない体験でしたが……。|||(*//艸//)アアア…

つまり、人間というのは、自由を求める一方で、束縛も求めようとする生き物ではないか?と。
自分が必要とされる場所、自分が帰属し得る場所、自分の実存を実感できる居場所を。

『存在の耐えられない軽さ』という映画・小説がありましたが、
「何かになりたい」「人に認められたい」という承認欲求よりも、「何をすれば快楽が得られるか」「どう考えれば楽しくなるか」という快楽追求の欲求の方ずっとが強かったこの私ですら、
「自由という刑」に処されて、不安定な個の状態に耐えられなくなってしまった。…orz

『コロナ論』最終章のシーシュポスやシューホフも、不条理であっても「労働」に自分の居場所を見つけ、幸福を見出だしたという話だったかと。


よしりん師範は、『戦争論』のラスト「自分を最も自由にしてくれる束縛は何か?」を引いて、
「保守はその束縛を守り、リベラルはそこから何を自由にするかということ」というようなことを、議論の中で仰ってました。

以上から導き出した私めの結論は、
《真のリベラルになるには、真の保守にならなければならない》ということ!

井上達夫氏からは「真のリベラル」と呼ばれ、同時に西部邁氏から「真の保守」と呼ばれるようでなければならないと。
正に、いみじくも紹介されたチャーチルの言葉そのまんまだと。
もっといえば、答えは既に『戦争論』にあったと・・・・((((・・;;)オッタマゲノ オケケ!


そして、このテーゼを元に考えますと、リベラルについての様々な疑問が疑問でなくなり、そしてさらなる真理へと・・・?(ง ˙˘˙ )ว(ง ˙˘˙ )ว(ง ˙˘˙ )σ༒



No.151 48ヶ月前

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