まずは道場の感想を失礼します。倉持氏、宇野氏の著書を読んでの参加でしたが、読んでおけば理解しやすくなるでも読んでなくても成立するという絶妙な進行だったと感じました。よくありがちなのが、本の内容を一生懸命説明し、読了者からすれば単なる読み直しで終わるパターンですが、適度に飛躍してました(笑)また、「議論って何?」が私のテーマなのですが、議論が成立しているなと感じました。 私なりの今回の論点は「強者と弱者」ととらえました。かつてよしりん先生は「わしは弱者のために強者になりたい!」とゴーマンかまされました。倉持氏の『リベリべ』で論じられているのは<弱い個人>です。著書内ではあまり触れられていませんでしたが、その<弱い個人>のための法整備を目指して奮闘されている倉持氏は<弱い個人>ではないはずです(おそらく息子さんもそうでしょう)。概念としては若干ずれるとは思いますが、宇野氏の目指している<考える庶民>は強者側でありルール作成側だと思います。『コロ問い』的に言えば、ファクトから冷静に判断する専門家が強者で、煽る専門家は弱者でしょう。『新堕落論』ニーチェから言えば明快で、強者である<高貴なる人間>とルサンチマンを持った<畜群>となるでしょう。問題は、強者をどう育て、強者をどう確保し、強者をどう監視するかです。このあたり次回ゲストの金塚弁護士に、フランスの行政裁判所の人材について聞いてみたいです。
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小林よしのりチャンネル
(ID:88780444)
まずは道場の感想を失礼します。倉持氏、宇野氏の著書を読んでの参加でしたが、読んでおけば理解しやすくなるでも読んでなくても成立するという絶妙な進行だったと感じました。よくありがちなのが、本の内容を一生懸命説明し、読了者からすれば単なる読み直しで終わるパターンですが、適度に飛躍してました(笑)また、「議論って何?」が私のテーマなのですが、議論が成立しているなと感じました。
私なりの今回の論点は「強者と弱者」ととらえました。かつてよしりん先生は「わしは弱者のために強者になりたい!」とゴーマンかまされました。倉持氏の『リベリべ』で論じられているのは<弱い個人>です。著書内ではあまり触れられていませんでしたが、その<弱い個人>のための法整備を目指して奮闘されている倉持氏は<弱い個人>ではないはずです(おそらく息子さんもそうでしょう)。概念としては若干ずれるとは思いますが、宇野氏の目指している<考える庶民>は強者側でありルール作成側だと思います。『コロ問い』的に言えば、ファクトから冷静に判断する専門家が強者で、煽る専門家は弱者でしょう。『新堕落論』ニーチェから言えば明快で、強者である<高貴なる人間>とルサンチマンを持った<畜群>となるでしょう。問題は、強者をどう育て、強者をどう確保し、強者をどう監視するかです。このあたり次回ゲストの金塚弁護士に、フランスの行政裁判所の人材について聞いてみたいです。