遅ればせながら、感想の続きです。 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第183回「過激化する“感染対策”と、PCRサイクル数の疑惑」 すこしTVタックルをみる機会があったのですが、ヨーロッパのコロナデモで、感染者が増えるとか、デモ参加者は携帯電話の回線で感染するというデマを信じ込んでいるとか、タイでは抑圧政策で成功したけれども、景気が悪くなったので、GOTOトラベルで、仏寺参拝で観光業を活性化しているとか、相変わらずのコロナ恐怖症患者の視点でのみ語られていました。そういう側面もあるのかも知れませんが、自由を求め、デモをする国民の目線を無視しているような感じです。木蘭さんの紹介されている事例はどれもひどいものだと感じますし、本来、自由は自分の力で勝ち取らなければならぬものであって、水や空気のように自然に存在するものではないのだ、と日本人も知るべし、と思いました。日本はその点、環境にも恵まれ過ぎているのでしょうか。 各国の政治家も、決してでたらめに弾圧をしているわけではないのかもしれないです。国民の命を守るためには、多少の強行策も必要だ、と感じているのやも知れません。しかし、本当に人民のことを思うのならば、もっと賢い政府であって(小池百合子のような、自身の権力強化に利用するようなずる賢いものではなしに)、自然に任せるのも一つの手ではなかったのでしょうか。スウェーデンという好例があるのに、イギリスもドイツも、多分アメリカなども、国民を信頼していないように思えます。むしろ、日本のような民度が低い国こそ、政府がしっかりして、衆愚政治におちいらないようにする必要があったのではないか、と悔やまれてなりません。自分の場合、あっという間の「緊急事態宣言」に唖然としてしまい、周囲でもそれで仕事を休むことが正当化され、ただ自分は「絶対に出勤します」としか言えませんでした。 それと、PCRの基準こそ国際的な情況に合わせて修正すべきでは、と思いました。 日本の自然環境ということで思い出したのですが。、以前、「地球少女アルジュナ」というアニメがありました。昔の記憶なので曖昧なところがありますが、日本の環境的なものが瞬時にして崩潰するという場面があったのだけれども、その位のことでもない限り、日本人は目覚めないのでしょうか。ちなみに、「アルジュナ」とは「バカヴァット・ギータ」というインドの古典(「マハーバーラタ」の一部)に登場する英雄で、クリシュナという神の友人なのだそうです。 anamochiさんが№106であげられているポケモンショックの話ですが、私もそういう不自然なアニメ描写をごく当然のものとして見ていました。場面を頭の中で補完していたようです。慣れ、というのは恐ろしい。 コロナ騒動も慣れになってしまい、マスクも人間の習俗になってしまったら、この世はどうなってしまうのだろうか。それでも、娘の大学の校舎の使用料を払わなくてもすむといった姉のように、何も感じないままなのだろうか。怖い話です。今に「ソイレント・グリーン」を食うのが当たり前の世になってしまうのではないか、それが「新しい生活様式」になってしまうのか、そんなことも、昨日の生放送で思いました。 やはり民主制は危険だ。人間を進化させるのは哲人や有徳者や賢者による民意の反映される貴族制しかないのではないか、 しかし、支配されるよりも自由の方が大事だ、ならば大多数が賢くならねばならない。賢いよりも、世の中を巧くわたってゆければ良い、と思っている大多数の意識をどう変革すれば良いのか、とても難しい課題だ、と思います。 とりあえずは、電車の中でマスクなしで、禁書目録にある「コロナ論」を立ち読みすることは続けてみようと思います。ゆきつくところを恐れずに。 私には、今のこの状態はストレスだらけでたまらないです。外に出たくても、マスクを強要される、マスクをするのが望ましいというアナウンスばかりが流される、だから自然に室内にいるようになりかねない。矛盾しているけれども、そうなってしまう。TVもリモート画面ばかりで目障りだ。現実逃避をしたくないのに、そうせざるを得ない。自家撞着です。
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遅ればせながら、感想の続きです。
泉美木蘭のトンデモ見聞録・第183回「過激化する“感染対策”と、PCRサイクル数の疑惑」
すこしTVタックルをみる機会があったのですが、ヨーロッパのコロナデモで、感染者が増えるとか、デモ参加者は携帯電話の回線で感染するというデマを信じ込んでいるとか、タイでは抑圧政策で成功したけれども、景気が悪くなったので、GOTOトラベルで、仏寺参拝で観光業を活性化しているとか、相変わらずのコロナ恐怖症患者の視点でのみ語られていました。そういう側面もあるのかも知れませんが、自由を求め、デモをする国民の目線を無視しているような感じです。木蘭さんの紹介されている事例はどれもひどいものだと感じますし、本来、自由は自分の力で勝ち取らなければならぬものであって、水や空気のように自然に存在するものではないのだ、と日本人も知るべし、と思いました。日本はその点、環境にも恵まれ過ぎているのでしょうか。
各国の政治家も、決してでたらめに弾圧をしているわけではないのかもしれないです。国民の命を守るためには、多少の強行策も必要だ、と感じているのやも知れません。しかし、本当に人民のことを思うのならば、もっと賢い政府であって(小池百合子のような、自身の権力強化に利用するようなずる賢いものではなしに)、自然に任せるのも一つの手ではなかったのでしょうか。スウェーデンという好例があるのに、イギリスもドイツも、多分アメリカなども、国民を信頼していないように思えます。むしろ、日本のような民度が低い国こそ、政府がしっかりして、衆愚政治におちいらないようにする必要があったのではないか、と悔やまれてなりません。自分の場合、あっという間の「緊急事態宣言」に唖然としてしまい、周囲でもそれで仕事を休むことが正当化され、ただ自分は「絶対に出勤します」としか言えませんでした。
それと、PCRの基準こそ国際的な情況に合わせて修正すべきでは、と思いました。
日本の自然環境ということで思い出したのですが。、以前、「地球少女アルジュナ」というアニメがありました。昔の記憶なので曖昧なところがありますが、日本の環境的なものが瞬時にして崩潰するという場面があったのだけれども、その位のことでもない限り、日本人は目覚めないのでしょうか。ちなみに、「アルジュナ」とは「バカヴァット・ギータ」というインドの古典(「マハーバーラタ」の一部)に登場する英雄で、クリシュナという神の友人なのだそうです。
anamochiさんが№106であげられているポケモンショックの話ですが、私もそういう不自然なアニメ描写をごく当然のものとして見ていました。場面を頭の中で補完していたようです。慣れ、というのは恐ろしい。
コロナ騒動も慣れになってしまい、マスクも人間の習俗になってしまったら、この世はどうなってしまうのだろうか。それでも、娘の大学の校舎の使用料を払わなくてもすむといった姉のように、何も感じないままなのだろうか。怖い話です。今に「ソイレント・グリーン」を食うのが当たり前の世になってしまうのではないか、それが「新しい生活様式」になってしまうのか、そんなことも、昨日の生放送で思いました。
やはり民主制は危険だ。人間を進化させるのは哲人や有徳者や賢者による民意の反映される貴族制しかないのではないか、 しかし、支配されるよりも自由の方が大事だ、ならば大多数が賢くならねばならない。賢いよりも、世の中を巧くわたってゆければ良い、と思っている大多数の意識をどう変革すれば良いのか、とても難しい課題だ、と思います。
とりあえずは、電車の中でマスクなしで、禁書目録にある「コロナ論」を立ち読みすることは続けてみようと思います。ゆきつくところを恐れずに。
私には、今のこの状態はストレスだらけでたまらないです。外に出たくても、マスクを強要される、マスクをするのが望ましいというアナウンスばかりが流される、だから自然に室内にいるようになりかねない。矛盾しているけれども、そうなってしまう。TVもリモート画面ばかりで目障りだ。現実逃避をしたくないのに、そうせざるを得ない。自家撞着です。