生放送、お疲れ樣でした。皇室問題が進まない、というのは盲点でした。 自分にとって、この情況は地獄そのもので、現実逃避していないとかえってやりきれないのですが(その割には何も集中できていないですが)、もう少し頑張ってみます。「常識」や「日常」に裏切られる瞬間があるなんて、思ってもいなかったです。 コメントで飛ばした、「かぐや様は告らせたい」の話を記してみます。といっても、この話は、カレーさんの掲示板で教えて頂いたのを、自分で確かめたわけですが。 秀知院学園生徒会書記の石上優には、中学時代、彼のことを気にかけてくれる大友京子というクラスメートがいました。彼女の存在は内向的な石上にとって、一種の癒やしでした。 その大友京子に、荻野という恋人ができました。石上はそのことを無条件に祝福していましたが、荻野は京子に隠れて浮気をしていました。そのことを知った石上は、荻野にこんなことはやめろ、という忠告をしましたが、荻野は逆に京子と関係を持たせてやる、といった「提案」をしてきました。 ある意味、正義感の強かった石上は、京子が傷つくのが堪えられなくて、気がついたら荻野を殴っていましたが、集まってきたほかの生徒たちに、荻野は石上を京子のストーカーのように言いふらし、嫉妬で自分を殴ったかのように喧伝しました。石上にとって不幸だったのは、京子までその言を信じてしまったことです。 結果、石上は自宅謹慎処分になり、反省文を書くまで授業を受けてはならない、となったのですが、どうしても、自分のした覚えのない反省を、石上は書くことができませんでした。 その後、どうなったのかは単行本で確かめて見て下さい。宣伝になってしまいましたが。これも、ピーチ航空なみの、一種の全体主義ですよね? この話を他人事として受け止められないのは、ある意味、自分にも経験があるからです。前にも記しているのだけれども、自分の場合は、会社で、〇〇さんが自分に優しいという「冗談」を真に受けて、こういう状態になったら告白をしないと男らしくないという思いこみで告白をし、つきあっている相手がいた、という相手の返事で、それはそれで良かったのだけれども、それを「未練がある」とか噂にされてしまい、何とか相手との関係修復をしないといけないと努力したら、今度は最初にはやしたてた人たちから「会社環境が悪くなるから、何もするな、そういう誓約書を書け」と言われたわけです。しかし、(当時は)どういう誓約書を書けばいいのか分からず、「無関心」としか書けませんでした。 自分の場合、石上と違って、いろいろ廻りに言ってしまったし、「貴方は逃げている」と相手にも言ったし、会社にも居辛くなってやめてしまったし。その後も自分の立場を説明する手紙を相手やいろいろな人に書いたりもしたので、自業自得ですが、この時の石上の気持ちはとても悔しかったのだろうと思いつつ、作品を読みました。まるで気のない相手に、正義感だけで行動して、多数の全体主義に押し潰された彼のことが、気の毒でなりませんでした。 なんて、自分の場合は比べてはいけないのでしょう。実際に「告白」をしたのだから。しかし、「責任逃れ」ととってもよいですが、今思うと、何か廻りに言わされた「告白」のような気もしています。本当に好きだったのかどうか、分からない。なにか病弱の患者を哀れむような気分だったのかもしれない。そういう体質の子だったから。自分でも、最低だと思いますが。自分とよく似た、神経質な子だと誤解もしていましたから。 自分の側のいいわけをもう少しだけしておくと、母親がなくなったばかりの頃の出来事でもありました。自覚はしていませんでしたが、多分、それもあったのでしょう。 そして、当時の自分に、どうすれば良かったのか、本当の意味での助言が欲しかった。 話がずれてしまいましたが、こういう全体主義で、大多数が「是」と思ったことは、固定化されてしまうのが世の常なんだろうと思います。石上の場合も、高校では(一部の理解者以外の)女子生徒から敬遠されていましたし、(比べてはいけないのだけれども)自分の場合もそういう雰囲気だった。 一度コロナウイルスで恐怖してしまったら、それを否定することは個々のアイデンティティーの崩壊につながるのでしょう。本来は、その医師会なり、政府なりがしっかりして、国民の反撥を承知で事実を伝えないといけなかったのかもしれない。でも、それをしなかった。だからみんな、調子にのって、非日常を楽しんでいる。無責任な世間、世界。私はそういうものは「公」ではなく、「私」の集合体でしかない、と定義します。 だから、責任のある医師会、政府、マスコミ、世間、世界が生まれて欲しい、そのように願います。オリンピックでPCR検査など、よしりん先生の予想も当たりそうですが、そんな風潮を阻止すべく、九州の道場が盛り上がって欲しいです。うまくまとまらなくなりましたが、こんな感じです。 長々と下らない話をすみませんでした。まだコメント欄に揶揄を書く阿呆がいるみたいですが、無視してすすみましょう。木蘭さんの感想は、また後回しですが、ごめんなさい。
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生放送、お疲れ樣でした。皇室問題が進まない、というのは盲点でした。
自分にとって、この情況は地獄そのもので、現実逃避していないとかえってやりきれないのですが(その割には何も集中できていないですが)、もう少し頑張ってみます。「常識」や「日常」に裏切られる瞬間があるなんて、思ってもいなかったです。
コメントで飛ばした、「かぐや様は告らせたい」の話を記してみます。といっても、この話は、カレーさんの掲示板で教えて頂いたのを、自分で確かめたわけですが。
秀知院学園生徒会書記の石上優には、中学時代、彼のことを気にかけてくれる大友京子というクラスメートがいました。彼女の存在は内向的な石上にとって、一種の癒やしでした。
その大友京子に、荻野という恋人ができました。石上はそのことを無条件に祝福していましたが、荻野は京子に隠れて浮気をしていました。そのことを知った石上は、荻野にこんなことはやめろ、という忠告をしましたが、荻野は逆に京子と関係を持たせてやる、といった「提案」をしてきました。
ある意味、正義感の強かった石上は、京子が傷つくのが堪えられなくて、気がついたら荻野を殴っていましたが、集まってきたほかの生徒たちに、荻野は石上を京子のストーカーのように言いふらし、嫉妬で自分を殴ったかのように喧伝しました。石上にとって不幸だったのは、京子までその言を信じてしまったことです。
結果、石上は自宅謹慎処分になり、反省文を書くまで授業を受けてはならない、となったのですが、どうしても、自分のした覚えのない反省を、石上は書くことができませんでした。
その後、どうなったのかは単行本で確かめて見て下さい。宣伝になってしまいましたが。これも、ピーチ航空なみの、一種の全体主義ですよね?
この話を他人事として受け止められないのは、ある意味、自分にも経験があるからです。前にも記しているのだけれども、自分の場合は、会社で、〇〇さんが自分に優しいという「冗談」を真に受けて、こういう状態になったら告白をしないと男らしくないという思いこみで告白をし、つきあっている相手がいた、という相手の返事で、それはそれで良かったのだけれども、それを「未練がある」とか噂にされてしまい、何とか相手との関係修復をしないといけないと努力したら、今度は最初にはやしたてた人たちから「会社環境が悪くなるから、何もするな、そういう誓約書を書け」と言われたわけです。しかし、(当時は)どういう誓約書を書けばいいのか分からず、「無関心」としか書けませんでした。
自分の場合、石上と違って、いろいろ廻りに言ってしまったし、「貴方は逃げている」と相手にも言ったし、会社にも居辛くなってやめてしまったし。その後も自分の立場を説明する手紙を相手やいろいろな人に書いたりもしたので、自業自得ですが、この時の石上の気持ちはとても悔しかったのだろうと思いつつ、作品を読みました。まるで気のない相手に、正義感だけで行動して、多数の全体主義に押し潰された彼のことが、気の毒でなりませんでした。
なんて、自分の場合は比べてはいけないのでしょう。実際に「告白」をしたのだから。しかし、「責任逃れ」ととってもよいですが、今思うと、何か廻りに言わされた「告白」のような気もしています。本当に好きだったのかどうか、分からない。なにか病弱の患者を哀れむような気分だったのかもしれない。そういう体質の子だったから。自分でも、最低だと思いますが。自分とよく似た、神経質な子だと誤解もしていましたから。
自分の側のいいわけをもう少しだけしておくと、母親がなくなったばかりの頃の出来事でもありました。自覚はしていませんでしたが、多分、それもあったのでしょう。
そして、当時の自分に、どうすれば良かったのか、本当の意味での助言が欲しかった。
話がずれてしまいましたが、こういう全体主義で、大多数が「是」と思ったことは、固定化されてしまうのが世の常なんだろうと思います。石上の場合も、高校では(一部の理解者以外の)女子生徒から敬遠されていましたし、(比べてはいけないのだけれども)自分の場合もそういう雰囲気だった。
一度コロナウイルスで恐怖してしまったら、それを否定することは個々のアイデンティティーの崩壊につながるのでしょう。本来は、その医師会なり、政府なりがしっかりして、国民の反撥を承知で事実を伝えないといけなかったのかもしれない。でも、それをしなかった。だからみんな、調子にのって、非日常を楽しんでいる。無責任な世間、世界。私はそういうものは「公」ではなく、「私」の集合体でしかない、と定義します。
だから、責任のある医師会、政府、マスコミ、世間、世界が生まれて欲しい、そのように願います。オリンピックでPCR検査など、よしりん先生の予想も当たりそうですが、そんな風潮を阻止すべく、九州の道場が盛り上がって欲しいです。うまくまとまらなくなりましたが、こんな感じです。
長々と下らない話をすみませんでした。まだコメント欄に揶揄を書く阿呆がいるみたいですが、無視してすすみましょう。木蘭さんの感想は、また後回しですが、ごめんなさい。