遅くなりました。今号の感想です。 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第180回「世界各地で“集団免疫の達成”報じられてます」 世界でさえ、「過って改むるに憚ること勿れ」なのに、日本だけ「過って改めざる是を過ちという」ではしょうがない、と思いました。「過ちを見てここに仁を知る」という言葉もあるのですが、玉川や岡田のしている過剰恐怖報道を見ていても、人々が冷静な状態でいたら「仁」には絶対にならず、「下衆」だとしか評価されないでしょう。 それに、人にドラマがあるように、国や地域にも、事情があるのだ、どうしてそんな単純なことが彼らの脳裏に浮かぶことがないのでしょうか。 ちょっとむづかしく書いてみましたが、要はこれだけロックダウンが過ちだというデータが出てきているのに、未だにCMは自粛ムード、リモートパソコン画面がメイン、みんなで頑張ろう、いい加減にしてくれ、と言いたいのです。TVを見るのが本当に嫌になってきます。 ゴーマニズム宣言・第386回「2類相当から外すか?」 上記の木蘭さんの感想でも記しましたが、集団に限らず、一度や人の頭に決められたことは、そう簡単にはくつがえらないのでしょう。かりに北朝鮮の人民が解放されたとしても、何もアドヴァイスをしなければまた金政権やかつての朝鮮王朝と同じ政体を築くのだろうと想像します。中国が、香港を併合しようとし、自分たちのルールを押しつけようとするのだって、「中華思想」・「天命思想」があるからだと思いますし。ガリレオ・ガリレイが「それでも地球は廻っている」といったのも、キリスト教世界がこんな風だったからなのでしょうか。 無責任男、安倍は政権を投げ出して遁走しましたが、せめて彼がブラックジャックの「腫瘍狩り」の医師位の責任感があったら、命を賭して世間に抵抗し、正しい情報を伝えることをしたのではないか、それで不信任案を突きつけられてやめさせられるのなら本望だったのではないか、改憲を祖先からの宿願とするのなら、その位はしても宜しかったのではないか、「千万人と雖も吾往かむ」といった志はないのか、などなど、死者に鞭打つような気分になってきます。 緊急事態宣言の頃の話になりますが、職場でコロナウイルスの話をしているので、「この前も話したけれども、一日位TVやラジオから離れる日を作っても良いのではないか」と発言したら、(日頃から自分を目のかたきにしているらしい)先輩社員から大目玉を食らいました。そういう発言でさえ、差別されるのですから。もう少し立てばもっと自由な発言ができるかと思いましたが、全然ですね。ソーシャルディスタンスや三密は、自分の職場では当たり前になっていますから。 洗脳を解くには、それ以上の論理や根気、情熱が必要なのでしょう。しゃべくりで投稿したように、今の日本は「ひぐらしのなく頃に」で、「雛見沢村」そのものです。 とりあえずは、自分も「コロナ論」に期待する、というしかないです。個人にできることは本当に限られています。自分の作業場でも、先の緊急事態宣言の際に、「給金は出ないけれども、休んでよい」と上司が発言したら、殆どが休んでしまい(中には親が出勤にもう反対したというところもあったそうです。それはそれで気の毒で、かなしいことだと思う)、この風潮を何とかするには、自分のような役立たずがどんなことをしても休まず出勤して働かねばならない、という気持ちで(親にそういう話があったということは秘密にして)出ていました。効果があったかどうかは分かりませんが。 いつまでつづく、マスク世界と緊縮ムード。生類憐れみの令ならぬ、TV回収法案とか国会で通ったらば、どうなるんでしょうか(アニメが見られなくなるから、嫌なんだけれども、生類憐れみの令に、動物さえ殺してはいけないのだから人間は当然殺してはいけないという幕府の指針があったという説があるように、これもカンフル剤としてやってみる必要はあるのでは、というのはガイドラインを求める大衆の気分と共通しているのだろうか?)。こういうときにこそ、高市早苗あたりが「電波停止」とか言えばいいのに(これも違うのでしょう)。 こんなところです。とりとめのないことを記してみました。 あと、遅ればせながら、よしりん先生、お誕生日おめでとうございます。大島弓子先生と同じ誕生日だそうです。あまり嬉しくはないですか?
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遅くなりました。今号の感想です。
泉美木蘭のトンデモ見聞録・第180回「世界各地で“集団免疫の達成”報じられてます」
世界でさえ、「過って改むるに憚ること勿れ」なのに、日本だけ「過って改めざる是を過ちという」ではしょうがない、と思いました。「過ちを見てここに仁を知る」という言葉もあるのですが、玉川や岡田のしている過剰恐怖報道を見ていても、人々が冷静な状態でいたら「仁」には絶対にならず、「下衆」だとしか評価されないでしょう。
それに、人にドラマがあるように、国や地域にも、事情があるのだ、どうしてそんな単純なことが彼らの脳裏に浮かぶことがないのでしょうか。
ちょっとむづかしく書いてみましたが、要はこれだけロックダウンが過ちだというデータが出てきているのに、未だにCMは自粛ムード、リモートパソコン画面がメイン、みんなで頑張ろう、いい加減にしてくれ、と言いたいのです。TVを見るのが本当に嫌になってきます。
ゴーマニズム宣言・第386回「2類相当から外すか?」
上記の木蘭さんの感想でも記しましたが、集団に限らず、一度や人の頭に決められたことは、そう簡単にはくつがえらないのでしょう。かりに北朝鮮の人民が解放されたとしても、何もアドヴァイスをしなければまた金政権やかつての朝鮮王朝と同じ政体を築くのだろうと想像します。中国が、香港を併合しようとし、自分たちのルールを押しつけようとするのだって、「中華思想」・「天命思想」があるからだと思いますし。ガリレオ・ガリレイが「それでも地球は廻っている」といったのも、キリスト教世界がこんな風だったからなのでしょうか。
無責任男、安倍は政権を投げ出して遁走しましたが、せめて彼がブラックジャックの「腫瘍狩り」の医師位の責任感があったら、命を賭して世間に抵抗し、正しい情報を伝えることをしたのではないか、それで不信任案を突きつけられてやめさせられるのなら本望だったのではないか、改憲を祖先からの宿願とするのなら、その位はしても宜しかったのではないか、「千万人と雖も吾往かむ」といった志はないのか、などなど、死者に鞭打つような気分になってきます。
緊急事態宣言の頃の話になりますが、職場でコロナウイルスの話をしているので、「この前も話したけれども、一日位TVやラジオから離れる日を作っても良いのではないか」と発言したら、(日頃から自分を目のかたきにしているらしい)先輩社員から大目玉を食らいました。そういう発言でさえ、差別されるのですから。もう少し立てばもっと自由な発言ができるかと思いましたが、全然ですね。ソーシャルディスタンスや三密は、自分の職場では当たり前になっていますから。
洗脳を解くには、それ以上の論理や根気、情熱が必要なのでしょう。しゃべくりで投稿したように、今の日本は「ひぐらしのなく頃に」で、「雛見沢村」そのものです。
とりあえずは、自分も「コロナ論」に期待する、というしかないです。個人にできることは本当に限られています。自分の作業場でも、先の緊急事態宣言の際に、「給金は出ないけれども、休んでよい」と上司が発言したら、殆どが休んでしまい(中には親が出勤にもう反対したというところもあったそうです。それはそれで気の毒で、かなしいことだと思う)、この風潮を何とかするには、自分のような役立たずがどんなことをしても休まず出勤して働かねばならない、という気持ちで(親にそういう話があったということは秘密にして)出ていました。効果があったかどうかは分かりませんが。
いつまでつづく、マスク世界と緊縮ムード。生類憐れみの令ならぬ、TV回収法案とか国会で通ったらば、どうなるんでしょうか(アニメが見られなくなるから、嫌なんだけれども、生類憐れみの令に、動物さえ殺してはいけないのだから人間は当然殺してはいけないという幕府の指針があったという説があるように、これもカンフル剤としてやってみる必要はあるのでは、というのはガイドラインを求める大衆の気分と共通しているのだろうか?)。こういうときにこそ、高市早苗あたりが「電波停止」とか言えばいいのに(これも違うのでしょう)。
こんなところです。とりとめのないことを記してみました。
あと、遅ればせながら、よしりん先生、お誕生日おめでとうございます。大島弓子先生と同じ誕生日だそうです。あまり嬉しくはないですか?