希蝶 のコメント

 もう少し、思い出したことを記します。
 井伏鱒二の名作に、「山椒魚」がありますが、自由を封じられた姿、というと自分はこの話を真っ先に思い出します。

 山椒魚は自分から岩屋の中に閉じ込められたり、岩屋の外を泳ぐ魚の群れを見て冷笑したり、脱出しようとしてエビに笑われたりしたわけではなく、たまたまぼーとしていたら、体が大きくなって、岩屋から出られなくなる位生長した、というだけなのでしょう。でも、「規制」や自由を縛る「法律」は自分の知らない間に大きくなり、自身がそれに気づく位「成長」しても、その時はどうにもならないほど大きな壁になるのかな、と思います。
 自由を縛られていることに気づいても、その時は遅すぎた、ということは頻繁に起こりうることなのでしょう。

 中学の時にも、「山椒魚」の続篇を作れ、という課題があり、自分は何とか山椒魚の八つ当たりで閉じ込められてしまった蛙を助ける手段をあれこれ思案しました。そして、上記にあげた山椒魚の突進を笑ったエビを誘き出し、岩屋の中に閉じ込め、蛙のえさにすることにしました(蛙がえびを食うか、という理屈は抜きにしてください)、そして、すこしだけ体力を取りもどした蛙は山椒魚の突進力を借りて何とか岩屋から脱出し、それを見屆けた山椒魚は悟りの心境になり、その後、彼を解放しようと迎えに来た蛙に見守れれながら一生を終えた、というような話をつくってみました。どうしても、山椒魚ではなく、蛙の方を救出したかったのです。

 多分、自分は当時、井伏鱒二は蛙に山椒魚の継承者の役割を与えようとしたのではないか、という勝手な解釈をしたのだろうと思い返します。どれだけあがいても岩屋は現前として存在するのだから、自力で脱出することは不可能だ、誰かに夢を繋ぐしかないのだろうと。可能な範囲でしか誰かを助けることはできないのだろうと。

 井伏鱒二が山椒魚の結末を変えてしまったので、これは自分の妄想でしかないのでしょう。しかし、現実に何とか「蛙」を増やさないと、世の中は岩屋だらけになってしまう、そして、それに閉じ込められていることも気づかずに一生を終えてしまうのかもしれない、そんなふうに思います。

 また、今は、夢は誰かに託すものでもあるのかも知れないけれども、肝腎なことは自分で何とかするしかないのでは、そうでないと、ほかの人も動かないのでは、そんなふうにも思います。

No.82 51ヶ月前

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