今号の感想です。 ゴーマニズム宣言・第381回「歪んだ動機の正義」 ありふれた感想を記しますが、ゆがんだ正義感と幼い正義感は親戚だ、幼いからと言って、決して許されてはいけない、と思います。しかし、世の中に動機さえ正しければ、手段や結果が悪くてもすべてが許されてしまう、という事例の何と多いことか。 ちなみに、「歪」という字の成り立ちは文字通り「不正」だそうです。正しくないものは、いくら外面を取り繕っても、正しくはならないのだ、と思います。 現在、宮坂道夫さんの「ハンセン病重監房の記録」という本をよんでいますが、途中までですが、正直言って、ひどい話だ、としか言いようがないです。断種手術とか、軽度の患者は労働にかりたてられるとか、そういうことが「大家族主義」の美名のもとに認められていた。朝鮮半島の小鹿島更生園での話などは、現在も半島の人々が日本に憎しみを持つ所以の1つになっているのではないか、と感じられました。 前回の記事も、今読んでいる本の内容も含めて申しますが、せめて、光田健輔さんのパターリズム(父権主義)を満たすような、医学以外の別のジャンルがなかったものか、と残念でたまりません。本人は自分のゆがみなどに気づかず、あるいは気づいてももう引き返せないと思っていたのでしょうが、それが社会に及ぼす影響の大きさを考えると、重大な犯罪行為だとしか言えないです。それとも、プロバビリティーの犯罪という言葉があるのですが、偶然犯罪になってしまったものは犯罪ではない、(そこに悪意がないと考えられている)事故で人がなくなってしまった場合は、法律的な責任は逃れられるとしても、(誰かの幸せを奪ったという)道徳的な責任まで回避できたということになってしまうのでしょうか。 いつまでこんな、目に見えない恐怖で人々が冷静さを失い、自分たちの主観で動く世の中が続くのでしょうか。はやく「コロナ論」が読みたいです。それとも、難癖をつけられて、「それは小林よしのりさんの言っていることでしょう」という言葉ですまされてしまうのでしょうか。そういうことのないように、と願います。 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第175回「スウェーデンの勝利宣言と、発狂中の人たち」 精神安定上の理由で、私があまりTVのニュースを見ないようにしているためでもあるのでしょうか、スウェーデンの話題があまり報道されていないように感じるのは気のせいでしょうか。この東京・大阪やスウェーデンとニューヨークの対比のグラフにしても、もっと一般公開・認知され、広く世に広まって欲しいと願います。よくここまで調べられたものだ、とインターネット音痴の私は毎回感心しております。立派な論文としても通用するのではないか、と。 児玉という人のことはよくは知りませんが、(また宮坂さんの本の内容に触れますが)、同じ「こだま」(谺)でも、専門家と称する上から目線の人と、実際に癩病の被害を受けている患者の言葉とでは、雲泥の差があるものなのかな、と思いました。それとも、児玉龍彦という人は、医療は人体実験の結果として発達したものだという思想でもお持ちなのでしょうか。実際、そういう面もあったのかもしれないけれども、これも一つのゆがみの結果だ、というふうに感じました。あと、今回も写真アップが効果的でとても面白かったです。 あまり論理的な文章ではありませんが、こんな感じでどうでしょうか?少し疲れているので、今号はこの位にします。 何が「羮に懲りて膾を吹く」だ、玉川徹!知ったかぶりをするな、と言いたいです。
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今号の感想です。
ゴーマニズム宣言・第381回「歪んだ動機の正義」
ありふれた感想を記しますが、ゆがんだ正義感と幼い正義感は親戚だ、幼いからと言って、決して許されてはいけない、と思います。しかし、世の中に動機さえ正しければ、手段や結果が悪くてもすべてが許されてしまう、という事例の何と多いことか。
ちなみに、「歪」という字の成り立ちは文字通り「不正」だそうです。正しくないものは、いくら外面を取り繕っても、正しくはならないのだ、と思います。
現在、宮坂道夫さんの「ハンセン病重監房の記録」という本をよんでいますが、途中までですが、正直言って、ひどい話だ、としか言いようがないです。断種手術とか、軽度の患者は労働にかりたてられるとか、そういうことが「大家族主義」の美名のもとに認められていた。朝鮮半島の小鹿島更生園での話などは、現在も半島の人々が日本に憎しみを持つ所以の1つになっているのではないか、と感じられました。
前回の記事も、今読んでいる本の内容も含めて申しますが、せめて、光田健輔さんのパターリズム(父権主義)を満たすような、医学以外の別のジャンルがなかったものか、と残念でたまりません。本人は自分のゆがみなどに気づかず、あるいは気づいてももう引き返せないと思っていたのでしょうが、それが社会に及ぼす影響の大きさを考えると、重大な犯罪行為だとしか言えないです。それとも、プロバビリティーの犯罪という言葉があるのですが、偶然犯罪になってしまったものは犯罪ではない、(そこに悪意がないと考えられている)事故で人がなくなってしまった場合は、法律的な責任は逃れられるとしても、(誰かの幸せを奪ったという)道徳的な責任まで回避できたということになってしまうのでしょうか。
いつまでこんな、目に見えない恐怖で人々が冷静さを失い、自分たちの主観で動く世の中が続くのでしょうか。はやく「コロナ論」が読みたいです。それとも、難癖をつけられて、「それは小林よしのりさんの言っていることでしょう」という言葉ですまされてしまうのでしょうか。そういうことのないように、と願います。
泉美木蘭のトンデモ見聞録・第175回「スウェーデンの勝利宣言と、発狂中の人たち」
精神安定上の理由で、私があまりTVのニュースを見ないようにしているためでもあるのでしょうか、スウェーデンの話題があまり報道されていないように感じるのは気のせいでしょうか。この東京・大阪やスウェーデンとニューヨークの対比のグラフにしても、もっと一般公開・認知され、広く世に広まって欲しいと願います。よくここまで調べられたものだ、とインターネット音痴の私は毎回感心しております。立派な論文としても通用するのではないか、と。
児玉という人のことはよくは知りませんが、(また宮坂さんの本の内容に触れますが)、同じ「こだま」(谺)でも、専門家と称する上から目線の人と、実際に癩病の被害を受けている患者の言葉とでは、雲泥の差があるものなのかな、と思いました。それとも、児玉龍彦という人は、医療は人体実験の結果として発達したものだという思想でもお持ちなのでしょうか。実際、そういう面もあったのかもしれないけれども、これも一つのゆがみの結果だ、というふうに感じました。あと、今回も写真アップが効果的でとても面白かったです。
あまり論理的な文章ではありませんが、こんな感じでどうでしょうか?少し疲れているので、今号はこの位にします。
何が「羮に懲りて膾を吹く」だ、玉川徹!知ったかぶりをするな、と言いたいです。