希蝶 のコメント

 昨日は道場、お疲れ様でした。前回に引き続き、有意義な内容でした。

 木村もりよさんがおっしゃれていたように、コロナウイルスが危険でないこと、経済を重視することを、何度も訴えていかないといけないと、心から思いました。今の関東地方で、それを言うのは至難のわざで、私の知人も、先日のSPA!などを見せながら話をしてみたのですが、「それは小林よしのりさんの言っていることでしょう」ですまされてしまったのですから。結局、その人と話すのはやめてしまいました。緊急事態宣言は無駄だった、という意見にも耳を貸さないような情況でしたから。自分はその人と面談形式で毎月話をしていたのですが、3ヶ月に1回にして、2ヶ月は電話にしてくれ、という要望にどうしても堪えられなくて(せめてひと月おきにしてくれ、と頼みました。電話代だってばかにはなりませんから)、通うのをやめることにしました。短慮だったでしょうか?
 これも死生観の問題なのだろうと、私は思います。

 ハンセン病のことですが、カフカの「変身」という物語を思い出しました。グレコリー・ザムザ(だったかな?)はある朝目覚めたら虫に「変身」していて、一家の働き手だったのが突如として厄介者になり、家族からも迫害・嫌悪されて寂しく死んでいき、それを家族は喜ぶ、というストーリーだったと覚えていますが、こういう話はファンタジーのようでいて、実はよくある話なのっではないか、と思いました。この場合、一体誰が悪いのか。
 病気になるのは、本人の不摂生だけなのか、前世の因縁なのか、すべてが本人の所為だとするのは、私たちが中途半端に仏教徒であり、とどのつまりは自己を正当化し、自分のことしか考えていないのではないか、だからいじめも本人が原因、だけで終わらされてしまうのではないか、聖書のヨブがどのような悪業をしたというのか、世の中を善悪だけで見るのは、実は視野狹窄で、世の中の実態から目をそらしているだけなのではないか、そんなことを思いました。
 PCR検査だけをすすめろとか、緊急事態宣言を再度出せとか言っている人たちは、ただ命が惜しいだけなんでしょうか。劇場で感染者が出たからと言って騷ぎ立てる人たちは、その舞台にかける思いなどに心を巡らせないのでしょうか。人間、生まれてきたからにはその命を活かさなければいけない、とは考えないのでしょうか。

 以上、何となく感じたことを記してみました。それではまた次回の配信を期待します。

No.177 52ヶ月前

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