希蝶 のコメント

 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第173回「『感染は自業自得』と責める日本人」
 これも、仏教の思想だな、と思いました。因果応報というやつでしょうか?確か三浦綾子さんが教師時代に病気になった際にそういう思想を語られて、嫌な気持ちになられた、という話を著書で読んだことがあります。聖書の「ヨブ記」も、詳しくは覚えてないけれども、そういう「因果応報」思想を正すものだったような。
 病気に罹るのはその人の所業や有徳・無徳と関係あるものではなく(「不規則な生活」は関係あるかも知れませんが)、本人の体力の問題で、それは鍛えれば改善される場合もあるでしょうが、本質的なものであり、あるいは生まれつきのものであって、どうあがいても変えられない宿命のようなものです。それこそ亀が無理矢理空を飛ぼうとするようなもので、その能力を得ようとして努力するのは悪いことではないかもしれないけれども、限界があります。自分も塾講師になろうとして無理をして、結局廻りに迷惑をかけてしましました。
 …というと、今回の話と重なるのですが、「集団」に迷惑をかけたものが悪いという論理が他を圧倒してしまうのが、日本人の悪い陋習なのではないか、とも思います。そして、弱い立場の人がいると、そちらの方が正義になり、結果、そちらの権利を主張する「集団」が生まれてしまい、本来用語されなければならない、特定の世界でしか生活できない「弱者」のことがなおざりにされてしまう。この場合だったらば、子供とかお年寄りとか、持病を持った人たちの話が中心にされて、ホストが差別されてしまう。そもそもホストなんて必要ないじゃないか、という論理や偏見が生まれる。弱者が弱者を侮蔑し、差別する、そういう人間のみにくさを見せられたような感じです。それこそ、魔女裁判のように。
 自分がこういうことを書いたり、主張したりしても、「その意見も分かるけどさ」とか、「それはそういうことを言ってる人の意見でしょう」あるいは「分からない」ですまされる。そういうのを「偽善」と呼ばないのか、なぜそこから考えようとしないのか、分からないのなら「教えてください」と頼まないのか、疑問です。「考えるんじゃない、感じるんだ」と言われたこともありますが、感じられないのなら、考えるしかないではありますまいか?

 といったところです。もう少し書いてみたいような気もしますが、また滑ったらいけないようにも思うので、とりあえずここまでにし、気が向いたら、ちゃんと記せるようならばにします。

 それでは、日曜日の道場、期待しています。会場の件、本当にひどいことをする輩がいる、と憤慨しています。行ったり来たりの自由は、どうしたら保障されるのでしょうか?

No.130 53ヶ月前

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