ねこみみ のコメント

昨日、テレビの某歌謡番組を見ていて思いました。出演者(ネット通信?による録画?)の表情に緊張感がないなあと。で、改めて、みんなコロナウイルスが危険じゃないって分かってるんだろうなあ、とぼんやり思いました。もしこれが致死率5割越えの危険ウイルスだったら、表情や雰囲気に悲壮感が漂うか、「歌なんて歌ってる場合か!」となりそうですよね。それにSNSやテレビでも「#お家で過ごそう」とか「お家時間」なんて呑気な言葉を使ってませんよね(それ以前に状況が全く違ってくるとは思いますが)。

私が住んでいる町(宮城県の田舎)の公園でも、圧倒的にマスクをつけていない人のほうが多いです。ただその一方で、スーパーに買い物に来ている人たちはほぼ百%マスクをつけています。公園に来ている人とスーパーに来ている人で属性が異なると思うので一概には言えませんが、「危険なウイルスじゃないけど、スーパーに迷惑をかけてもいやだし、今はマスクを付けるものだし、つけとこうか。」ということなのかなと勝手に思っています。

でもなんなんでしょうね、危険なウイルスでもないと分かっているのにこんな対応をしなくてはいけないって。やはり「空気」、同調圧力、ということになるとは思うんですが、「空気」ってなんなんでしょう。「(人の多数ではなく、雰囲気の多数(強弱)を支配した人たちの作り出す、作り出した、)空気」?余計わかり辛い、、、。先日高森先生がブログで紹介していた「世論の専制」の10歩くらい手前の状態でしょうか。でも「空気」の場合、多数派による専制とも違う気がするんですよね。上手く言えませんが。

マスコミがいくら危険を強調しても、公園に来る人たちはおそらくマスクをつけないと思います。少なくとも公園においてはマスコミの「空気」が支配的にはなっていません。行政からの要請や指針がなければ、お店を支配する「空気」もあるいは変わるかもしれません。
でも緊急事態宣言が解除されても、この「空気」は残るような気がします。単なる慣性か、あるいは暴走したマスコミや知事たちがしっかり存在し続けて現実的な影響を及ぼし続けるからか、わかりませんが。

「空気」って、何種類もあるんでしょうね。マスコミ・世論によって生み出される大きなものから、その場にいる人・ものによって作り出される小さなものまで。せめて自分は変な「空気」を作り出さないように注意したいと思います。

乱文かつ長文、失礼しました。最後になりましたが、よしりん先生の「コロナ論」、期待しています!

No.201 48ヶ月前

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