GEE-US-T のコメント

夜明け前の散漫な蛇足。

ザっとみた限り、このコメ欄のコメント者の圧倒的多数は、
コトバの上では、経済、究極には生存への脅威を盾に、
「ヤリ過ぎ」・「必要ない」というコメントが多いようです。
もちろん、それだけじゃない方、そういう外部の識者の主張を
紹介してる方もおられます。

でも、多数の方も、心中を言い尽くしてない可能性があるでしょう。
潜在意識レベルでは無用の自粛に対する疲弊感、「疲れ」の
ホントウの中身はこんなんじゃなくて、という思い。

もしかしたら……自分たちの「集会の自由」・「交通の自由」・
「幸福追求権」といった、生存権の二十六?条より
もっと前、憲法二十条とか十何条?とかレベルの、
本来の基本人権侵害が行われている。
それに対する言い難い苛立ちと不満、不幸感。

たとえば、年に数回の、「人生一番の幸せ」の
ライブやイベントなどの中止。お稽古事の発表会。
それは、アーティストの稼業問題だけではない。
むしろ、我々の幸福追求権の侵害だってもっといえないんかな、
なんて思います。
「人はパンのみにて生きるにあらず。サーカスも必要。
魂の救済はあくまでオプション・コース」
と古代ローマ人もいうてるでしょう?

それとも、近い思いをしてる人は案外少ないんかな?

なにより暫定的なエビデンスによると、どうやら、
英欧米とちがい、日本では「公共の福祉」による
制約の必要が少なくとも同等には、無い。

このことをもっと強く言うべきやないかなぁと思います。

というのも。経済や生存権的な主張はたしかに大事ではある。
しかしそれだけだと、「失われた命は二度と云々」には勝てない。
少なくとも、勝ちにくい。

なんつーんですかね、誰か、M山さんかな、が紹介してました。
罪の都市・ラスベガスの側に、一食何千キロカロリーの
ハンバーガー出す店があって。
「死んでもええからコレ喰うたんねん。Sin City来た
らコレ喰うのがいっちゃん楽しみやねん」
というおデブさんが、食して店を出た直後に死んだ例もある。
アホでしょう?

でも、自由って……
「オレ/わたしの好きなことを愚行と呼ぶがいい、
それを追求する自由を、しからずんば死を」
の部分がどっかにないといけないなぁって。
(最初から反社会的なもんは、まぁ、あかんけど)

母権的か父権的かはともかく、家父長制国家主義
(国家がいつまでも親、庇護者)にからめとられ過ぎない。

局面によっては、生存それ自体より大切なことかも
しれなくないですか?
いまがその局面かは知らんけど。




No.378 55ヶ月前

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