最近はゴー宣のブログ、皆様のコメント、週末のオドレら正気かが救いになっています。 しろくまさんの死生観、私も共感します。 以前観たある芝居のセリフに 「私は命の価値は長い短いで判断するものではないと思うのです」 「その人がどれだけ生きたかではなく、どう生きたがが大切なんしゃないかって」 というものがあって、以来この言葉が常に頭のどこかにあるようになりました。 世間が延命長寿に拘るのも私には謎です。 母親はよく「一日無事に終わるのは凄いこと」だと言います。だって朝起きて出掛けて、無事に帰れる保証なんて誰にもないんですから。 家の中だってどんな事故がおきるかわかりません。 常に死と隣り合わせだということを現代人は忘れてしまっていますね。 倉持先生のブログを読んで情けなくなりました。 司法までそんな有り様ですか。 立憲主義は認識もされず根付いてもいないうちにどこかに吹き飛んでしまっていますね。 せめてまともな憲法議論、立憲的改憲が出来ていたら、少しは状況が違っていたんでしょうか?? 好きな声優さんが、 「僕らは5月の舞台だけでなく、6月の舞台も心配です。お稽古ができませんから」 と仰っているのですが、その後で 「踏ん張りましょう」 と言うのです。 唖然呆然。「公演やらせろー!!」と声をあげる気にはならないのでしょうか。 好きな役者さんに失望するのも辛いです
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小林よしのりチャンネル
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最近はゴー宣のブログ、皆様のコメント、週末のオドレら正気かが救いになっています。
しろくまさんの死生観、私も共感します。
以前観たある芝居のセリフに
「私は命の価値は長い短いで判断するものではないと思うのです」
「その人がどれだけ生きたかではなく、どう生きたがが大切なんしゃないかって」
というものがあって、以来この言葉が常に頭のどこかにあるようになりました。
世間が延命長寿に拘るのも私には謎です。
母親はよく「一日無事に終わるのは凄いこと」だと言います。だって朝起きて出掛けて、無事に帰れる保証なんて誰にもないんですから。
家の中だってどんな事故がおきるかわかりません。
常に死と隣り合わせだということを現代人は忘れてしまっていますね。
倉持先生のブログを読んで情けなくなりました。
司法までそんな有り様ですか。
立憲主義は認識もされず根付いてもいないうちにどこかに吹き飛んでしまっていますね。
せめてまともな憲法議論、立憲的改憲が出来ていたら、少しは状況が違っていたんでしょうか??
好きな声優さんが、
「僕らは5月の舞台だけでなく、6月の舞台も心配です。お稽古ができませんから」
と仰っているのですが、その後で
「踏ん張りましょう」
と言うのです。
唖然呆然。「公演やらせろー!!」と声をあげる気にはならないのでしょうか。
好きな役者さんに失望するのも辛いです