私もFacebookに何度も自粛の行き過ぎを訴える投稿をしています。 厚労省のインフルエンザ報告数などのデータを引用して、我々はこれだけ多数の感染者を出すウイルスと毎年戦い続けており、「軽症は自宅療養」の方針で何の問題も起きていないということを示しています。 「命を守るために」という行政のメッセージに対しては、「緊急事態宣言によって失われてしまう命もあるはず」とまで書きました。 でも、反応は非常に鈍いです。 とても賛同できないのか、それとも「いいね!」を付けることで賛意を表明することを避けているのかは不明ですが。 ただ、理性を失ってしまうと、数字のデータを示しても耳を貸さなくなるんですね。 数字に基づいた見解よりも、海外の人間の「日本人は落ち着きすぎ」いうコメントの方を重視してしまうし、中国や欧米の惨状が脳にこびりついてしまっている人もいます。 かように自粛容認は感情的なもので、そこに科学的根拠はほとんどありません。 加えて大衆には「今の状況を変えたくない」という意識があるのではないか、と思います。 一度構築された「自粛体制」に対して、少なくとも国民側から疑問を呈することは避けたい、現状で得られた「秩序」を壊したくない、ということでしょうか。 実際には「一刻も早く自粛要請が解除されて欲しい」と考える人は多数おられるでしょうけど、自粛要請そのものに対する疑問を挟むというのは、今の「秩序」を手放すことになってしまいかねない、そんなリスクは背負えない、という感覚。 本来それはマスコミの役目なのですが、そういうスタンスが完全に忘れ去られてしまいました。 2月末の「全国一斉休校要請」の時は、その妥当性を検証する報道があったのですが、今はもう「自粛ありき」一色になってしまいました。 無力な一市民が「常に疑い続ける」というのは負担があまりにも大きすぎます。 権力の監視を放棄したマスコミの罪は免れないかなと思います。 あと気になるのは、現状を戦時に近い状態と感じている方は多いとは思いますが、即ちこれは戦時のシミュレーションにもなっているのではないか、ということ。 つまり「安保法制」成立以降、『ゴー宣』では「否応なくアメリカの戦争に巻き込まれてしまう危険性」について繰り返し訴えてきましたが、新型ウイルスも「否応なく国家に降りかかってきた一大事」だろうと思います。 つまり、国民の大半が正気を失い、強権発動を支持してしまう現在のような状態は、「否応なくアメリカの戦争に巻き込まれた時」にも充分に起こりうるということが証明されてしまったのではないか、と。権力を縛る憲法よりも、全体主義に絡め取られた「不自由な秩序」の方を優先してしまう大衆。 立憲主義の成立は、なかなか一筋縄ではいかないのかなとあらためて感じました。
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私もFacebookに何度も自粛の行き過ぎを訴える投稿をしています。
厚労省のインフルエンザ報告数などのデータを引用して、我々はこれだけ多数の感染者を出すウイルスと毎年戦い続けており、「軽症は自宅療養」の方針で何の問題も起きていないということを示しています。
「命を守るために」という行政のメッセージに対しては、「緊急事態宣言によって失われてしまう命もあるはず」とまで書きました。
でも、反応は非常に鈍いです。
とても賛同できないのか、それとも「いいね!」を付けることで賛意を表明することを避けているのかは不明ですが。
ただ、理性を失ってしまうと、数字のデータを示しても耳を貸さなくなるんですね。
数字に基づいた見解よりも、海外の人間の「日本人は落ち着きすぎ」いうコメントの方を重視してしまうし、中国や欧米の惨状が脳にこびりついてしまっている人もいます。
かように自粛容認は感情的なもので、そこに科学的根拠はほとんどありません。
加えて大衆には「今の状況を変えたくない」という意識があるのではないか、と思います。
一度構築された「自粛体制」に対して、少なくとも国民側から疑問を呈することは避けたい、現状で得られた「秩序」を壊したくない、ということでしょうか。
実際には「一刻も早く自粛要請が解除されて欲しい」と考える人は多数おられるでしょうけど、自粛要請そのものに対する疑問を挟むというのは、今の「秩序」を手放すことになってしまいかねない、そんなリスクは背負えない、という感覚。
本来それはマスコミの役目なのですが、そういうスタンスが完全に忘れ去られてしまいました。
2月末の「全国一斉休校要請」の時は、その妥当性を検証する報道があったのですが、今はもう「自粛ありき」一色になってしまいました。
無力な一市民が「常に疑い続ける」というのは負担があまりにも大きすぎます。
権力の監視を放棄したマスコミの罪は免れないかなと思います。
あと気になるのは、現状を戦時に近い状態と感じている方は多いとは思いますが、即ちこれは戦時のシミュレーションにもなっているのではないか、ということ。
つまり「安保法制」成立以降、『ゴー宣』では「否応なくアメリカの戦争に巻き込まれてしまう危険性」について繰り返し訴えてきましたが、新型ウイルスも「否応なく国家に降りかかってきた一大事」だろうと思います。
つまり、国民の大半が正気を失い、強権発動を支持してしまう現在のような状態は、「否応なくアメリカの戦争に巻き込まれた時」にも充分に起こりうるということが証明されてしまったのではないか、と。権力を縛る憲法よりも、全体主義に絡め取られた「不自由な秩序」の方を優先してしまう大衆。
立憲主義の成立は、なかなか一筋縄ではいかないのかなとあらためて感じました。