お久しぶりです。na85です。二度と書き込まないと言った私ですが、アンチやストーカーの話題の時には良心が咎めても病身を押してでも出てこざるを得ない気分になります。次号が発行されて数日経ってから書き込むことが私の最後の良心の発露だと理解していただければ幸いです。かつての私の凄まじいアンチぶりを知らない方は、ライジングvol.199「ストーカー気質についての考察」のコメントナンバー146をご覧ください(↓)。私は「この時点」の過去に居座り続ける馬鹿な「人間のクズ」の標本です。ある人はこう言うでしょうか?「まだ生きてたの?」「やはり死ぬ死ぬ詐欺だったな」と。安心してください、今は単なる小康状態ですから。 https://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar1131328 (ライジングvol.199) さて、今回は私が犯した最大の罪を晒します。私ことna85は、これまで掲示板道場、チャンネル掲示板、コミュニティ掲示板、ライジングコメント欄と、小林先生が関わる全媒体において約10年前からの数年間、訴えてきたことが2点あります。一つは積極財政(ケインズ主義=今で言うMMT、金融政策:日本円発行&財政政策:国債発行による公共投資)は正しい!という経済政策論で、もう一つはCO2温暖化説は虚構!から始まり、森から海までを復活させて地球環境を正常化せよ、という環境政策論です。 ケインズ主義について私は、リチャード・クー氏の著書を読んだ時点で絶対にこれが正しいと感じ、以後植草一秀氏、三橋貴明氏、中野剛志氏、藤井聡氏と読み継いで自信を深めていきましたが、ここのコメント欄では最後まで受け入れられませんでした。特にアベノミクス(一本目:金融政策、二本目:財政政策)批判の文脈では積極財政による五輪インフラ整備=被災地の復興を遅らせる無駄な公共事業とされ、坂の上のさらに上を目指すような経済成長は諦めるべきだ!というグローバリズム批判と重なって逆風が吹き荒れたため藻谷浩介氏の「デフレの正体」のような世代間の資産移転論にまで後退せざるを得ませんでした。そして、私の個人的な資質の問題も絡んだ問題の末、ライジングvol.199に至るような経緯で私はここを去りました。 しかし、ケインズ主義政策については、後に小林先生が「ゴー宣2nd」2巻でケインズは正しくハイエクは間違いだとマトリックスで示され、また道場にもMMT論者の藤井聡教授をゲストに招かれましたが、やはり私としては心穏やかではいられませんでした。というのも、ある時期の門弟メーリングリストにおいて確かにna85への反感と敵意が渦巻いており、そのせいで小林先生が積極財政政策について正面から考えてみようという気を削ぎ続けていたのが、まさに私であろうと考えるからです。 現在までの約10年ほど小林先生が経済についての考えを保留されていたため、反グローバリズムの伝統保守を自称するくせにケインズ忌避・ハイエク絶賛という奇妙な立ち位置の副島隆彦氏(雑誌「正論」の連載作家で、小林先生とは「諸君」で対談したことがある)の経済理論がゴー宣読者の間では正義だったのだろうと想像します。副島氏の反グローバリズムの主張は、外交においては「反米のためには親中が正しい」、経済においては「ケインジアン=グローバリストだから排斥せよ」という奇妙な理論で、私には全く同意できないものでした。また今では反グローバリズムと反緊縮(積極財政)は車の両輪のようなものだと、ここにおられる方も理解されているかと思います。そして今なら、ケインジアンこそがナショナリストで、緊縮論者は皆グローバリストの片割れだと理解されるはずです。 つまり何が言いたいかというと、もう少し私の「アンチ性」が薄く、私の人格が当時の門弟メーリスにおられた方々のウケが良いものだったなら、そして小林先生に信用される程度に「まとも」な人格だったなら、今頃は積極財政を語る経済のゴー宣スペシャル本の一冊も出ていたかもしれないのです。そのような未来であったなら、2014年の消費増税は行われなかった可能性が高く、庶民の財務省への批判も高まって国債発行による公共投資も増え、建設国債以外の赤字国債が認められれば社会保障・教育・防衛・一次産業保護などの予算も削られず、カネの流通量が増えることで国民の実質賃金も上がり、企業のブラック化も緩和され、少子化・過疎化・東京一極集中も止まり、現役世代の人口が維持されれば消費が活発になり、企業の国内投資が回復してグローバル展開も減り、移民流入に伴う様々なリスクも減り、企業の業績が上がれば外資によるM&Aも防がれ、所得税収・法人税収が上がれば財政も再建され…という正のスパイラル(循環)が起こっていたはずなのです。 ただし、ここで財政法4条という法律の問題があります。財政法4条は建設国債を除く国債発行を税収の範囲内に抑えることが趣旨ですが、もともと同条項は二度と日本に国債で戦費調達させないためにGHQから大蔵省に下された命令です。建設国債が許されたのは戦災で焦土と化した状態からの復興だけは許されたためです。財政法4条を残したまま積極財政をやろうとすれば公共投資は箱物ばかりとなります。これが共産党や立憲民主党の言う「無駄な公共事業ガ―」の原因です。しかし、行うべき公共事業を行っていたら昨年の台風19号の人的被害や経済的損失を低く抑えられたという事実もあります。 さて、この10年間は毎年約2~3万人ずつ自殺者が出ていますが、その全事例に生存権(憲法25条)が脅かされるような経済的な理由が含まれるはずです。ゆえに私は単純計算で20~30万人もの同胞を虐殺した罪を背負っている可能性があると感じています。20~30万人と言えば原爆2発分、南京大虐殺1回分です。また虐待やDVも経済状況によって激増しますから、被虐待児の心身の傷も失われた命も私の罪に加算されます。なぜ私がこれらの罪を被ることになるかと言えば、当時の門弟方に疎まれつつ積極財政論を唱えていたna85という存在「さえ」無ければ、やがて直感力に優れた小林先生が経済政策においても正しい回答に辿り着き、重要なゴー宣スペシャル本の狭間にでも経済のゴー宣スペシャル本を著し、また反グローバリズム・反緊縮という正しい経済政策へ向かうためにも米国やグローバル企業の要求を拒否するためにも脱属国が必要だと展開され、やがて現在ゴー宣道場の目標として掲げられる立憲的改憲にも矛盾なく繋がり、積極財政だけでは片手落ちとなる国の独立にもつながったはずだからです。さらにスペシャル本によって山尾志桜里氏にも積極財政が正しく理解され、MMT論者の山本太郎氏が「立憲主義どころじゃない」と発言することも無かったはずなのです。つまり属国化を深めた罪も加算してよいかもしれません。 以上で述べてきたことが、私こそが日本国と全日本国民に対する最悪のアンチにして小林先生とゴー宣道場に対する究極のアンチであることの証左となります。私が存在することで犠牲になった皆様と、より困難な状況に陥れられた中から公論を立ち上げようとされている皆様に心からの謝罪を申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。 私の罪はルックスを変えて謝罪行脚したぐらいでは絶対に許されない! na85
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お久しぶりです。na85です。二度と書き込まないと言った私ですが、アンチやストーカーの話題の時には良心が咎めても病身を押してでも出てこざるを得ない気分になります。次号が発行されて数日経ってから書き込むことが私の最後の良心の発露だと理解していただければ幸いです。かつての私の凄まじいアンチぶりを知らない方は、ライジングvol.199「ストーカー気質についての考察」のコメントナンバー146をご覧ください(↓)。私は「この時点」の過去に居座り続ける馬鹿な「人間のクズ」の標本です。ある人はこう言うでしょうか?「まだ生きてたの?」「やはり死ぬ死ぬ詐欺だったな」と。安心してください、今は単なる小康状態ですから。
https://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar1131328 (ライジングvol.199)
さて、今回は私が犯した最大の罪を晒します。私ことna85は、これまで掲示板道場、チャンネル掲示板、コミュニティ掲示板、ライジングコメント欄と、小林先生が関わる全媒体において約10年前からの数年間、訴えてきたことが2点あります。一つは積極財政(ケインズ主義=今で言うMMT、金融政策:日本円発行&財政政策:国債発行による公共投資)は正しい!という経済政策論で、もう一つはCO2温暖化説は虚構!から始まり、森から海までを復活させて地球環境を正常化せよ、という環境政策論です。
ケインズ主義について私は、リチャード・クー氏の著書を読んだ時点で絶対にこれが正しいと感じ、以後植草一秀氏、三橋貴明氏、中野剛志氏、藤井聡氏と読み継いで自信を深めていきましたが、ここのコメント欄では最後まで受け入れられませんでした。特にアベノミクス(一本目:金融政策、二本目:財政政策)批判の文脈では積極財政による五輪インフラ整備=被災地の復興を遅らせる無駄な公共事業とされ、坂の上のさらに上を目指すような経済成長は諦めるべきだ!というグローバリズム批判と重なって逆風が吹き荒れたため藻谷浩介氏の「デフレの正体」のような世代間の資産移転論にまで後退せざるを得ませんでした。そして、私の個人的な資質の問題も絡んだ問題の末、ライジングvol.199に至るような経緯で私はここを去りました。
しかし、ケインズ主義政策については、後に小林先生が「ゴー宣2nd」2巻でケインズは正しくハイエクは間違いだとマトリックスで示され、また道場にもMMT論者の藤井聡教授をゲストに招かれましたが、やはり私としては心穏やかではいられませんでした。というのも、ある時期の門弟メーリングリストにおいて確かにna85への反感と敵意が渦巻いており、そのせいで小林先生が積極財政政策について正面から考えてみようという気を削ぎ続けていたのが、まさに私であろうと考えるからです。
現在までの約10年ほど小林先生が経済についての考えを保留されていたため、反グローバリズムの伝統保守を自称するくせにケインズ忌避・ハイエク絶賛という奇妙な立ち位置の副島隆彦氏(雑誌「正論」の連載作家で、小林先生とは「諸君」で対談したことがある)の経済理論がゴー宣読者の間では正義だったのだろうと想像します。副島氏の反グローバリズムの主張は、外交においては「反米のためには親中が正しい」、経済においては「ケインジアン=グローバリストだから排斥せよ」という奇妙な理論で、私には全く同意できないものでした。また今では反グローバリズムと反緊縮(積極財政)は車の両輪のようなものだと、ここにおられる方も理解されているかと思います。そして今なら、ケインジアンこそがナショナリストで、緊縮論者は皆グローバリストの片割れだと理解されるはずです。
つまり何が言いたいかというと、もう少し私の「アンチ性」が薄く、私の人格が当時の門弟メーリスにおられた方々のウケが良いものだったなら、そして小林先生に信用される程度に「まとも」な人格だったなら、今頃は積極財政を語る経済のゴー宣スペシャル本の一冊も出ていたかもしれないのです。そのような未来であったなら、2014年の消費増税は行われなかった可能性が高く、庶民の財務省への批判も高まって国債発行による公共投資も増え、建設国債以外の赤字国債が認められれば社会保障・教育・防衛・一次産業保護などの予算も削られず、カネの流通量が増えることで国民の実質賃金も上がり、企業のブラック化も緩和され、少子化・過疎化・東京一極集中も止まり、現役世代の人口が維持されれば消費が活発になり、企業の国内投資が回復してグローバル展開も減り、移民流入に伴う様々なリスクも減り、企業の業績が上がれば外資によるM&Aも防がれ、所得税収・法人税収が上がれば財政も再建され…という正のスパイラル(循環)が起こっていたはずなのです。
ただし、ここで財政法4条という法律の問題があります。財政法4条は建設国債を除く国債発行を税収の範囲内に抑えることが趣旨ですが、もともと同条項は二度と日本に国債で戦費調達させないためにGHQから大蔵省に下された命令です。建設国債が許されたのは戦災で焦土と化した状態からの復興だけは許されたためです。財政法4条を残したまま積極財政をやろうとすれば公共投資は箱物ばかりとなります。これが共産党や立憲民主党の言う「無駄な公共事業ガ―」の原因です。しかし、行うべき公共事業を行っていたら昨年の台風19号の人的被害や経済的損失を低く抑えられたという事実もあります。
さて、この10年間は毎年約2~3万人ずつ自殺者が出ていますが、その全事例に生存権(憲法25条)が脅かされるような経済的な理由が含まれるはずです。ゆえに私は単純計算で20~30万人もの同胞を虐殺した罪を背負っている可能性があると感じています。20~30万人と言えば原爆2発分、南京大虐殺1回分です。また虐待やDVも経済状況によって激増しますから、被虐待児の心身の傷も失われた命も私の罪に加算されます。なぜ私がこれらの罪を被ることになるかと言えば、当時の門弟方に疎まれつつ積極財政論を唱えていたna85という存在「さえ」無ければ、やがて直感力に優れた小林先生が経済政策においても正しい回答に辿り着き、重要なゴー宣スペシャル本の狭間にでも経済のゴー宣スペシャル本を著し、また反グローバリズム・反緊縮という正しい経済政策へ向かうためにも米国やグローバル企業の要求を拒否するためにも脱属国が必要だと展開され、やがて現在ゴー宣道場の目標として掲げられる立憲的改憲にも矛盾なく繋がり、積極財政だけでは片手落ちとなる国の独立にもつながったはずだからです。さらにスペシャル本によって山尾志桜里氏にも積極財政が正しく理解され、MMT論者の山本太郎氏が「立憲主義どころじゃない」と発言することも無かったはずなのです。つまり属国化を深めた罪も加算してよいかもしれません。
以上で述べてきたことが、私こそが日本国と全日本国民に対する最悪のアンチにして小林先生とゴー宣道場に対する究極のアンチであることの証左となります。私が存在することで犠牲になった皆様と、より困難な状況に陥れられた中から公論を立ち上げようとされている皆様に心からの謝罪を申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。
私の罪はルックスを変えて謝罪行脚したぐらいでは絶対に許されない! na85