トッキーさんがブログで紹介されていたケロ坊さんの文章、感銘を受けました。 民主主義でやってる仕事現場なんてない、という当然至極かつ実にシンプルな一文で、アンチらの妬みや未練を喝破されているのが素晴らしいです。 やはり現場感覚ですね。 現場を大事にする人、現場で活躍している人は、自分に発言権がないとすればその理由をきちんと理解出来るはずです。 まともな組織に属しており、かつ自分を客観視できる人ならば、自分の立ち位置は分かっていて当然です。 『ゴー宣道場』もそういう組織だということは、ブログを読み続けていれば当たり前のように理解出来るはず。 アンチはやたらと『ゴー宣道場』をカルト宗教のように例えますが、カルト教信者は「中にいる間」は不公平なんか感じないものですよね。 自分の地位に応じてではあるけど、必ず教祖様から何らかの「施し」が与えられるのですから。 「竹田研究会」の会員が会場で皆涙を流しているのも、平等に「救われた」「自分を変えることが出来た」と感じているからですよね。 『ゴー宣道場』を「民主的ではない」「不公平だ」と批判するアンチこそが、『ゴー宣道場』に宗教的なものを求めていたのではないでしょうか? 救って欲しかったのに救われなかったから「裏切られた!」と感情をこじらせてしまう。 でも、自分の感覚の中には宗教要素しかない(現場感覚の組織という価値観がない)から、『ゴー宣道場』はカルト宗教だという貧困なボキャブラリーによる非難しかできないんですね。 哀しいのう。 いっそのこと「竹田研究会」に入ればいいじゃん。 ひょっとしたら、話は聞いてくれるかもしれないよ! ところで『慰安婦』を第4章まで読み進めたのですが、あることに気付きました。 上で述べた「アンチ発生の構図」が既に出来上がっていた、ということです。 第2章では「もうゴー宣のファンはやめます」「貴方の頭は小学生以下です」と猛烈な抗議を寄せた読者が登場しました。 第4章の欄外には「あのやさしかった小林さんが、なぜ?」というフレーズが紹介されいるし、「強制連行なかった派」が理論的で「強制連行あった派」は感情的で議論が成立しづらいという事実も述べられています。 つまり、今まで普通に『ゴー宣』を楽しんで読んでいたけど、慰安婦問題で感情的になり、一気にアンチ化したという状況が想像できます。 歴史は繰り返していた! よしりん先生がイラク戦争に反対し、従米保守ポチを批判したらアンチ化した人たち。 よしりん先生が『天皇論』で女系(双系)を容認し、男系固執派を批判したらアンチ化した人たち。 同じだ! 第2章の抗議読者と、それ以降にアンチ化した人たちは、ぴったりイメージが重なります。 恐らく彼らはそれを自覚していないでしょう。 そして、こう言うんです。 「小林よしのりは、『戦争論』までは良かったんだけどな」って。 バカだな~~~~! 彼らは「よしりん派」みたいな主義主張が存在すると思ってるんだな。 ちゃうって。 よしりん先生も読者も門下生も「保守」の思想を練り続けてるだけだって。 「練り続ける」の意味が分からない・そもそもそんなことするつもりない、という人が、安易な答えを求めて『ゴー宣道場』の門を叩き、「裏切られた」感を抱くんでしょうね。 そのプロセスも全然変わってない。 だから、よしりん先生も『ゴー宣』も全くブレてない。 アンチがこれだけ発生するのは、「保守」としてブレてないからかもしれないですね。
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トッキーさんがブログで紹介されていたケロ坊さんの文章、感銘を受けました。
民主主義でやってる仕事現場なんてない、という当然至極かつ実にシンプルな一文で、アンチらの妬みや未練を喝破されているのが素晴らしいです。
やはり現場感覚ですね。
現場を大事にする人、現場で活躍している人は、自分に発言権がないとすればその理由をきちんと理解出来るはずです。
まともな組織に属しており、かつ自分を客観視できる人ならば、自分の立ち位置は分かっていて当然です。
『ゴー宣道場』もそういう組織だということは、ブログを読み続けていれば当たり前のように理解出来るはず。
アンチはやたらと『ゴー宣道場』をカルト宗教のように例えますが、カルト教信者は「中にいる間」は不公平なんか感じないものですよね。
自分の地位に応じてではあるけど、必ず教祖様から何らかの「施し」が与えられるのですから。
「竹田研究会」の会員が会場で皆涙を流しているのも、平等に「救われた」「自分を変えることが出来た」と感じているからですよね。
『ゴー宣道場』を「民主的ではない」「不公平だ」と批判するアンチこそが、『ゴー宣道場』に宗教的なものを求めていたのではないでしょうか?
救って欲しかったのに救われなかったから「裏切られた!」と感情をこじらせてしまう。
でも、自分の感覚の中には宗教要素しかない(現場感覚の組織という価値観がない)から、『ゴー宣道場』はカルト宗教だという貧困なボキャブラリーによる非難しかできないんですね。
哀しいのう。
いっそのこと「竹田研究会」に入ればいいじゃん。
ひょっとしたら、話は聞いてくれるかもしれないよ!
ところで『慰安婦』を第4章まで読み進めたのですが、あることに気付きました。
上で述べた「アンチ発生の構図」が既に出来上がっていた、ということです。
第2章では「もうゴー宣のファンはやめます」「貴方の頭は小学生以下です」と猛烈な抗議を寄せた読者が登場しました。
第4章の欄外には「あのやさしかった小林さんが、なぜ?」というフレーズが紹介されいるし、「強制連行なかった派」が理論的で「強制連行あった派」は感情的で議論が成立しづらいという事実も述べられています。
つまり、今まで普通に『ゴー宣』を楽しんで読んでいたけど、慰安婦問題で感情的になり、一気にアンチ化したという状況が想像できます。
歴史は繰り返していた!
よしりん先生がイラク戦争に反対し、従米保守ポチを批判したらアンチ化した人たち。
よしりん先生が『天皇論』で女系(双系)を容認し、男系固執派を批判したらアンチ化した人たち。
同じだ!
第2章の抗議読者と、それ以降にアンチ化した人たちは、ぴったりイメージが重なります。
恐らく彼らはそれを自覚していないでしょう。
そして、こう言うんです。
「小林よしのりは、『戦争論』までは良かったんだけどな」って。
バカだな~~~~!
彼らは「よしりん派」みたいな主義主張が存在すると思ってるんだな。
ちゃうって。
よしりん先生も読者も門下生も「保守」の思想を練り続けてるだけだって。
「練り続ける」の意味が分からない・そもそもそんなことするつもりない、という人が、安易な答えを求めて『ゴー宣道場』の門を叩き、「裏切られた」感を抱くんでしょうね。
そのプロセスも全然変わってない。
だから、よしりん先生も『ゴー宣』も全くブレてない。
アンチがこれだけ発生するのは、「保守」としてブレてないからかもしれないですね。