「アナと雪の女王」、録画してあったのを見ましたので、改めて感想を書き直します。 私が予想していた話は、もっと女権伸張みたいな話で、男が女を助ける話ではなく、女が女を助ける話、あるいは自分で自分を救済する話みたいに思っていたわけです。 実際、そのようにもなっていましたが、全体として感じたことは、「真実の愛」を教えてくれる存在があったからこそ、アナは最後の最後で姉を守ることができたのではないか、という感じでした。偽りの見せかけの愛情に人は飛びついてしまいがちだけれども、それでは心の氷は溶けず、人が人を思い遣ったり、心配する気持ちが大事だ、というメッセージを投げかけている、というふうに感じました。 エルサの苦しみは実はそんなに新しいものではなく、(こういうたとえをあげると苦情を述べる人もいるのでしょうが)仮面ライダーに改造された本郷猛が怒りの感情で、顔面の傷を浮かび上がらせる場面や、「キカイダー」のジローが不完全な良心を組み込まれ、仲間である筈のロボットを破壊しなければならぬ苦悩などと共通しているようにも思えました。スパイダーマンも、叔父さんから、大いなる力を持つには責任が必要だ、とか言われているそうで、どちらかというと、(力を持ちながらも精神的には未熟な)ヒーロー物につきものの懊悩であり、それをファンタジーの女王ものに組み込んだところに新しさがあったのではないか、と思います。 一方のアナは自由奔放な楽天的な少女として描かれており、恋愛がなんたるかを知らず、憧れと混同しているところがあり、苦労知らずの子供でしかなかったのが、試練を経て人間にとって本当に大事なのは何かを教えて貰う、という展開になっており、古典的な姫君像とは異なっているのは分かりました。 要は、これは2人の少女が大人になる過程を描いた物語であり、その2つが交わるのが例の場面なのではないか、その意味で、童話としての枠組みと伝統を守りつつ、新しい酒を注ぎ込んだものではないか、というふうに思いました。実は「白雪姫」も、「眠れる森の美女」も、「シンデレラ」も「赤頭巾」も少女が大人になる話であって、ただし、これらの話では王子と結ばれたり、家庭を築き、守ったりすることが「成人する」ということであったのでしょう。それを現代風に解釈すると、孤独と人のぬくもりの中で気づいたものは「身近な愛」であったわけで、青い鳥は搜しても見つけることはできなかったけれども、でも搜す過程も重要で、結果として身近にいることが発見できた、という寓話とよく似ているのではないか、と言えるのではないのでしょうか。 以上が私の感想です。続篇では、どういう展開になっているのか、興味が湧いてきました。青い鳥も物語の最後で、再度逃げていってしまいますから、幸せとは長つづきしないものなのでしょうか。 話はかわりますが、時事シャウト、面白く拝見させていただきました。政権をとることではなく、自分が選挙に受かることしか考えていない議員が多いという現状、まるで「アナ雪」の某人物を思わせます。こういうところでも「真実の愛」が発揮されることはないのでしょうか。とりあえず、名古屋での道場、期待しています。
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(ID:22136524)
「アナと雪の女王」、録画してあったのを見ましたので、改めて感想を書き直します。
私が予想していた話は、もっと女権伸張みたいな話で、男が女を助ける話ではなく、女が女を助ける話、あるいは自分で自分を救済する話みたいに思っていたわけです。
実際、そのようにもなっていましたが、全体として感じたことは、「真実の愛」を教えてくれる存在があったからこそ、アナは最後の最後で姉を守ることができたのではないか、という感じでした。偽りの見せかけの愛情に人は飛びついてしまいがちだけれども、それでは心の氷は溶けず、人が人を思い遣ったり、心配する気持ちが大事だ、というメッセージを投げかけている、というふうに感じました。
エルサの苦しみは実はそんなに新しいものではなく、(こういうたとえをあげると苦情を述べる人もいるのでしょうが)仮面ライダーに改造された本郷猛が怒りの感情で、顔面の傷を浮かび上がらせる場面や、「キカイダー」のジローが不完全な良心を組み込まれ、仲間である筈のロボットを破壊しなければならぬ苦悩などと共通しているようにも思えました。スパイダーマンも、叔父さんから、大いなる力を持つには責任が必要だ、とか言われているそうで、どちらかというと、(力を持ちながらも精神的には未熟な)ヒーロー物につきものの懊悩であり、それをファンタジーの女王ものに組み込んだところに新しさがあったのではないか、と思います。
一方のアナは自由奔放な楽天的な少女として描かれており、恋愛がなんたるかを知らず、憧れと混同しているところがあり、苦労知らずの子供でしかなかったのが、試練を経て人間にとって本当に大事なのは何かを教えて貰う、という展開になっており、古典的な姫君像とは異なっているのは分かりました。
要は、これは2人の少女が大人になる過程を描いた物語であり、その2つが交わるのが例の場面なのではないか、その意味で、童話としての枠組みと伝統を守りつつ、新しい酒を注ぎ込んだものではないか、というふうに思いました。実は「白雪姫」も、「眠れる森の美女」も、「シンデレラ」も「赤頭巾」も少女が大人になる話であって、ただし、これらの話では王子と結ばれたり、家庭を築き、守ったりすることが「成人する」ということであったのでしょう。それを現代風に解釈すると、孤独と人のぬくもりの中で気づいたものは「身近な愛」であったわけで、青い鳥は搜しても見つけることはできなかったけれども、でも搜す過程も重要で、結果として身近にいることが発見できた、という寓話とよく似ているのではないか、と言えるのではないのでしょうか。
以上が私の感想です。続篇では、どういう展開になっているのか、興味が湧いてきました。青い鳥も物語の最後で、再度逃げていってしまいますから、幸せとは長つづきしないものなのでしょうか。
話はかわりますが、時事シャウト、面白く拝見させていただきました。政権をとることではなく、自分が選挙に受かることしか考えていない議員が多いという現状、まるで「アナ雪」の某人物を思わせます。こういうところでも「真実の愛」が発揮されることはないのでしょうか。とりあえず、名古屋での道場、期待しています。