希蝶 のコメント

 ああ、疲れた(笑)。阿呆に何を言っても分からないものなんですね。少しだけ同情してあげたのに。ツイッターだけでなくコメント欄に投稿せよ、とか、人格の否定ではなく、内容をとりあげて批評せよ、とさんざん苦情を述べていたじゃないですか。
 彼こそ、自分の主張に自己撞着を起こしています。
 いちおう言っておきますが、私は彼にしつこくつきまとってはいません。失礼かと思いますが、彼をよしりん企画のどなたかの覆面の姿か、あるいはファン代表のような立場かと勘違いしていたので、自然と接する機会が多かったのです(それだけ、私は「電子掲示板」がどういうものなのか、知らずにおりました)。
 例の一件だって、私はna85さん同様、庇ったんですよ。恩を仇で返された、というのはこういうのを言うのでしょう。頭に北半球です。
 彼を構うのはもう本当にやめます。再三、下らないことにコメント欄を使い、すみませんでした。

 感想のつづきです。

 泉美木蘭の小説「正しい宗教のつくり方」・第5回「だから女を守りたい」
 この鶴見佑子の場合も経験が人を成長させる、ということなのだろうけれども、都合のいいように男に利用され、嫉妬に狂った別のキャリアウーマンからは莫迦にされ、軽蔑されているだけで、全然精神の進歩のあとが見られないです。とある集団で、特定の立場や地位を与えられ、それに「安住」してしまうと、自ら研鑽し、自己内省することなしに、自分の現在の場所を「保守」することにとらわれているだけになってしまうのでしょう。しかし、所属する組織の中にいる限りは、自分の鏡にうつった姿を見ることは難しいものです。
 新ゴー宣第一巻第四章で、飯星恵子さんがマインドコントロールの解ける瞬間として、「最後に残っているのはほんの一枚のプライドの薄皮なんです」と語っていた時のことを思い出しました。こう記すと、「ゴー宣道場も組織のようなものではないか」と言い出す輩が現れるのでしょうが、ゴー宣道場自体は「討論会」であり、オウムのような宗教教団ではなく、純粋な意見の交流がテーマでしょう。ただ、その意見にも「優劣」があり、どの意見も共通に平等に価値があるのではなく、公平にはとりあげるけれども、「その時点で」の結論は見出ださなければならず、「平凡」とか「普通」とか「常識」といった点にその特色があると言えるのでしょう。
 この佑子の洗脳がいつ解けるのか、いつになったら自分の足で歩けるようになるのか、見物です。ただし、佑子自身はおのれの短所を自覚した上で、自ら判断し、考え、行動していると思いこんでいるので、なかなか困難なことになりそうです。人のことは言えないのかもしれませんが。
 人は見た目でパンダんするな、といったところでしょうか(笹さんへ、すみません円)。それと「片守秋成」も笑えるネーミングです(高森先生へ、ごめんなさい)。

No.92 54ヶ月前

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