希蝶 のコメント

 感想その2です。

 高校時代はいじめられていた、という話をしましたが、私も人並みの感情はある人間だったので、クラスの中でどの子がかわいいか、という話に参加したりしました。
 その結果、一番かわいい子として、自分が名前をあげた子の隣にされてしまったことがあり、どのように対処すれば良いのか分からず、変な行動ばかりをとってしまい、かえって、相手から引かれた、というような経験もしました。今思っても、その子のことが好きだったのか、よく分かりません。一番かわいい、ということは、「好きだ」とか「愛している」とかいうことと同義語なのでしょうか?ただ「美的に優れている」という意味ではないのでしょうか。

 ただ、その経験が、自分が気になった女の子がいたら、告白しないといけない、でないと廻りから「勇気がない」とか「男らしくない」と非難されるものなのだ、というふうに認識させるようになりました。

 ここからは関西ゴー宣道場のコメント欄にも記したことなので、既読のかたは同じ事の繰り返しで、退屈されると思います。が、簡単に記すと、
 仕事場の同僚や先輩などからの、「○○さんが貴方に優しい」という「冗談」(だったのでしょう、多分)を真に受け、上記の高校時代のリベンジも兼ねて、「勇気を出して初めての告白」をしました。それで、私は「ありがとう」で済むと思っていました。自分への好意を伝えられて、嫌な気分をする人間はいない、と思っていたのです(相手にもよるのでしょうが)。
 交際相手がいるという返事でしたが、達成感もありました。
 しかし、その後、周囲や相手の態度が一変し、そのことで私は非常にとまどいました。わけがわからないので、自分が相手に未練を持っているのか、とか、知らず知らずに(無意識のうちに)ひどい行いをしているのか、とか、色々な人に聞きまくりました。その結果、よけいにおかしな誤解を生む結果になりました。

「重たい荷物を持たせて、嫌がらせをしている」
「今度からは相手に迷惑をかけない恋愛をしろよ。いっそ一人暮らしをしてみたらいいんじゃないか」
「こういう狭い場所では、噂は七十五日でなくなるものではなく、火のないところから煙を立てるようなことが行われるから、慎重に行動しろ。職場環境が悪くなるから、仕事だけしていろ」
「貴方はひねくれている。素直じゃない。無理矢理恋愛感情を否定しようとしている」
「(友人のことを話しかけたら)おまえみたいな奴がほかにも何人もいるのか(笑)」
「(彼女など、もうこりごりだ、という本心を述べたら)恰好つけてる、おかしい(笑)」
「貴方は、これこれこういうことをしたら、どうなるのかって、考えないで行動するんですか」

 一言。大混乱しました。当時の自分の心境を語ると
「彼女のように、態度を顔や表情に表していると、ずるい人につけこまれてしまう。何とか一人だちできるように鍛えないといけない。それが自分の知らぬ、彼女の交際相手のためにもなるだろう」
というものでした。
 私は彼女と、ただ「友人」・「親友」になりたかっただけでした。自分と似た「神経質」な人間だ、と感じていたから。
 そうじゃなくて、自分が相手を神経質にした「加害者」だったのです。
 しかし、当時は、いったい人間って、どうしてかくも豹変できるものなのか、と思いました。個人的な事情ばかりですみませんが、当時、親がなくなり、その際の廻りの反応も見ているので、そのこともあって、尚更そのように感じたのでしょう。

 この話を木蘭さんの記事や、今回の激辛カレー事件などにあてはめてみると、以下のことが言えるのではないのでしょうか。
 つまり、この加害者たちも、その教員の頼りなさに将来性を不安視し、鍛えないといけないとか感じた。それがエスカレートして、いじめや嫌がらせそのものへと発展していったのではないか、だから、誰もその異常さに気づかず、指摘されて初めて反省した(あるいはふりをしている)のではないか(女性が主導者というところにそのことを感じる)。
 また、恋愛経験は、若いうちに経験を踏んでおかないといけない、男女交際も、そうしないと、一定の年齢になって、社会に出て、基本的な対処ができずに、信頼されないとみなされる局面に直面するのではないか、と思うのです。
 早い話が、「社会常識」を知らないと笑われる、恥だけをかく、みっともない事態になるんだ、ということです。
 まさしく、事態は刻一刻と変化しており、同じ場所に立ち止まってはいられない、この場合はこう、あの場合はこう、という臨機応変の判断を迫られるものなのだ、と思うのです。

 …って、こういう話と一緒にするのは失礼で、的外れでしょうか。断っておきますが、激辛カレー云々は、最初からただ相手が騷ぐのが面白かっただけだったのではないか、とも思っています。勿論、彼らの行為が最初から正しいなんて思っていません。しかし、被害者にも原因はある、とはこういうことなのではないか、と定義できるように感じます。

 私が「101回目のプロポーズ」が嫌いな理由はここにあります。あの武田鉄矢の、浅野温子の心の傷を癒やすために行動する有様を見ていると、自分が相手のためだと信じ込んで行動した狂気さとダブってしまい、不快な感じがするのです。
 あの話の交際相手(婚約者)はなくなっており、武田鉄矢の役への生理的なものが、浅野温子のヒロインを当初拒絶させた、ということなのでしょうが。
 この話も、何とかラジオの話も、これ以上記すとポリコレになってしまうので、ここまでにします。私が気に入らないだけのことなのだから。

 男女関係はこじれると、このように取り返しがつかなくなる、という話でした。いちおう断っておきますが、これは私のン十年前の話であって、必ずこうなる、という話ではないです(よほど、相性が悪かったのでしょう)。ただ、用心はした方がよい、準備や根回しはしっかりしておいた方がよい、とは思います。
 つまらない愚痴を聞かせてしまい、すみませんでした。

No.50 61ヶ月前

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