ゴーマニズム宣言・第337回「田原総一朗のデマはたちが悪い」 まず、安田真理さんのツィッターに 「もうこれだけで立憲民主党の支持をやめていい話」 「あなたにがっかりした」 という返事をした人たちについて。 支持をやめればいいだけの話、勝手にがっかりすればいいだけの話でしょう。貴方に好かれようが嫌われようがどうでもいいことではありませんか。それよりも、安田さんが実行しようとしていること、を冷静に見ることの方が大事なのではありますまいか。どちらが正しいか、「歴史」が判定してくれます。 ということを記しておきます。確かに左翼と呼ばれる人たちはまだ存在するようですね。 羽鳥モーニングショーよりも、フジテレビで、中洲のたちション問題を見ている方が楽しかったし、遥かに重大な問題だと感じました。公衆マナーを心得ていない人たちが多いようですね。衛生面でも、ばっちいですし。 確かに日韓の対立は由々しきことですが、約束を守らないことは、社会人としての大問題なのだから、国家においても大事件ではないのでしょうか。前にも記しましたが、とある漫画には「約束は守るものだ」というセリフがありました。 韓国の首相は、遣新羅使とか遣渤海使とか、あるいは新羅使とか渤海使とか、そういう話を知らないのでしょうか。大陸・半島と列島をどれだけ命がけで交流し、交渉をしたのか、という歴史を学んで欲しいものだと思います。それとも、これも半島の屈辱の歴史、とか言い出すのかもしれないですね。遣唐使の話でもよいと思います。中には唐使を伴なって帰国し、遭難して命からがら帰ってきて、さて、唐使をどのように処遇すべきか、もめたという話もある位ですから(昔も今も、やってることは同じですね)。 のっけから田原総一朗氏の話から脱線していますが、ゴー宣道場のテーマも、「約束」のようなものであり、多少脱線するとしても、そのテーマに沿った話題にもどす必要があるのではないか、と思いました。この前の生放送で、控え室の中を「道場」だと思っていたという話、傑作でした。 田原総一朗がデマを話したということですが、案外、本人の頭の中ではそういう物語ができあがってきており、自分が政治家に尽力したおかげで世界が変わった、みたいに思いこんでいるのではないのでしょうか。好意的に解釈すればそんな感じです。 討論とはただ言葉で喧嘩すればよいのではなく、そこから止揚、アウフヘーベンするものが必要でしょう。暫定的でもいいから、「結論」がなければいけないと思うのです。 とりあえず、事実を認識しましょう。そして、どういう経緯でそうなったのか、客観的に判断しよう、といったところです。 あまりまとまっていないですが、こんな感じでよいのでしょうか。
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ゴーマニズム宣言・第337回「田原総一朗のデマはたちが悪い」
まず、安田真理さんのツィッターに
「もうこれだけで立憲民主党の支持をやめていい話」
「あなたにがっかりした」
という返事をした人たちについて。
支持をやめればいいだけの話、勝手にがっかりすればいいだけの話でしょう。貴方に好かれようが嫌われようがどうでもいいことではありませんか。それよりも、安田さんが実行しようとしていること、を冷静に見ることの方が大事なのではありますまいか。どちらが正しいか、「歴史」が判定してくれます。
ということを記しておきます。確かに左翼と呼ばれる人たちはまだ存在するようですね。
羽鳥モーニングショーよりも、フジテレビで、中洲のたちション問題を見ている方が楽しかったし、遥かに重大な問題だと感じました。公衆マナーを心得ていない人たちが多いようですね。衛生面でも、ばっちいですし。
確かに日韓の対立は由々しきことですが、約束を守らないことは、社会人としての大問題なのだから、国家においても大事件ではないのでしょうか。前にも記しましたが、とある漫画には「約束は守るものだ」というセリフがありました。
韓国の首相は、遣新羅使とか遣渤海使とか、あるいは新羅使とか渤海使とか、そういう話を知らないのでしょうか。大陸・半島と列島をどれだけ命がけで交流し、交渉をしたのか、という歴史を学んで欲しいものだと思います。それとも、これも半島の屈辱の歴史、とか言い出すのかもしれないですね。遣唐使の話でもよいと思います。中には唐使を伴なって帰国し、遭難して命からがら帰ってきて、さて、唐使をどのように処遇すべきか、もめたという話もある位ですから(昔も今も、やってることは同じですね)。
のっけから田原総一朗氏の話から脱線していますが、ゴー宣道場のテーマも、「約束」のようなものであり、多少脱線するとしても、そのテーマに沿った話題にもどす必要があるのではないか、と思いました。この前の生放送で、控え室の中を「道場」だと思っていたという話、傑作でした。
田原総一朗がデマを話したということですが、案外、本人の頭の中ではそういう物語ができあがってきており、自分が政治家に尽力したおかげで世界が変わった、みたいに思いこんでいるのではないのでしょうか。好意的に解釈すればそんな感じです。
討論とはただ言葉で喧嘩すればよいのではなく、そこから止揚、アウフヘーベンするものが必要でしょう。暫定的でもいいから、「結論」がなければいけないと思うのです。
とりあえず、事実を認識しましょう。そして、どういう経緯でそうなったのか、客観的に判断しよう、といったところです。
あまりまとまっていないですが、こんな感じでよいのでしょうか。