だから西洋人が自然と呼んでるものを日本人は徹底的な真似をして自然とします、呼んでる訳です。 真似自体はともかく自然という見方では他にはそんなん全然ないでしょう。だからよほど特殊な体と頭との構造を持ってる。 どんな構造を持ってるか追々わかってゆきますが。つまり癒着がひどい。本来さぱさぱ離れているべきはずのところ。 非常に心を麻痺さしては黒漆を塗り、綿帽子で麻痺さしては黒漆を塗りと、 いう風なことを何重にも何重にも、数億回ぐらい、そんなんまぁ数十万回重ねてる。 外から見たら黒う見える。が、機能を見たら麻痺してしまってる。 そのためそんなこと思えんはずの者が、五感でわからないものはないと、これは犬や猫と同じです。 何故って、人は大脳前頭葉を付けてもらってる。そんなこと思えるのはよっぽどどうかしてる。まぁともかくそう。 だから本当の自然のことを、しかし東洋人、中国人や仏教の人達も、得てしてそう思う。 それで間違わないように、五感でわからないものもあるので、 そうすると五感でわかる部分と、五感でわからない心の部分と、二面からなってることになりますね。 仏教はそれを「大自然」と呼んでる。 ところがこの大自然をいろんな方面から言うことができる。 「方面」というのは道元禅師の言葉です。西洋人の見てるようなこの自然界でだったら「角度」と言う。 角度って言ったらしかし直線を意味する。実際は「直線」ではなくて「サイクル」。 直線と思ってるものは、一方の端と他方の端とがつながってる。 いや、こりゃ五感でわかる部分だからこうでしょう、わからん部分でならこれ同じなん。ええ、そうなん、総て。 それで、こういう風に使ってます。 諸仏のつねにこのなかに住持たる、各々の方面に知覚をのこさず、 群生のとこしなえにこのなかに使用する、各々の知覚に方面あらわれず。 そういう風に使う。この角度からって、皆言ってるでしょう。あれを方面からと言う訳。そうすると非常な深みが出る。 それで大自然を言いましたね。日本民族というのを言わなきゃ。
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小林よしのりチャンネル
(ID:14564425)
だから西洋人が自然と呼んでるものを日本人は徹底的な真似をして自然とします、呼んでる訳です。
真似自体はともかく自然という見方では他にはそんなん全然ないでしょう。だからよほど特殊な体と頭との構造を持ってる。
どんな構造を持ってるか追々わかってゆきますが。つまり癒着がひどい。本来さぱさぱ離れているべきはずのところ。
非常に心を麻痺さしては黒漆を塗り、綿帽子で麻痺さしては黒漆を塗りと、
いう風なことを何重にも何重にも、数億回ぐらい、そんなんまぁ数十万回重ねてる。
外から見たら黒う見える。が、機能を見たら麻痺してしまってる。
そのためそんなこと思えんはずの者が、五感でわからないものはないと、これは犬や猫と同じです。
何故って、人は大脳前頭葉を付けてもらってる。そんなこと思えるのはよっぽどどうかしてる。まぁともかくそう。
だから本当の自然のことを、しかし東洋人、中国人や仏教の人達も、得てしてそう思う。
それで間違わないように、五感でわからないものもあるので、
そうすると五感でわかる部分と、五感でわからない心の部分と、二面からなってることになりますね。
仏教はそれを「大自然」と呼んでる。
ところがこの大自然をいろんな方面から言うことができる。
「方面」というのは道元禅師の言葉です。西洋人の見てるようなこの自然界でだったら「角度」と言う。
角度って言ったらしかし直線を意味する。実際は「直線」ではなくて「サイクル」。
直線と思ってるものは、一方の端と他方の端とがつながってる。
いや、こりゃ五感でわかる部分だからこうでしょう、わからん部分でならこれ同じなん。ええ、そうなん、総て。
それで、こういう風に使ってます。
諸仏のつねにこのなかに住持たる、各々の方面に知覚をのこさず、
群生のとこしなえにこのなかに使用する、各々の知覚に方面あらわれず。
そういう風に使う。この角度からって、皆言ってるでしょう。あれを方面からと言う訳。そうすると非常な深みが出る。
それで大自然を言いましたね。日本民族というのを言わなきゃ。