ホプライ のコメント

溶田宗泰ではありませんが岡潔と比較していただければ幸いです。数日掛けて投稿します。

1974年4月16日第1回京都産業大学講義録
これ、目下執筆中の本の原稿ですが、こういう時はほかのやり方できませんから、これに基づいてお話します。
で、1929年というと、今年1974年ですから、大体三十五年前です。
いや、1929年ですね、それから1974年、三十年引いたら、七から三引く、四だから、大体四十五年前ですね。
この時まだ満州事変、つまり一連の戦争は始まってなかった。
1929年の晩春早夏の候、数え年二十九の私。
だから私、西暦と合うので、1901年に生まれた訳です。数え年二十九。

「私はフランスに渡ろうとしてただ一人シンガポールの渚に立った。
左側には頂にだけ葉を付けた太い椰子の木が二、三本斜めに海に突き出ている。
向かいには丘の麓に伊勢神宮の原型を思わせるような土人の家が三、四軒、高い床足を波に洗わせている。
私は寄せては返す波の音に聴き入るともなく聴き入っていた。
そうすると突然、名状し難い強烈な懐かしさの情に襲われてそのまま渚にうずくまってしまった。そして直観的にわかったことを言葉で表すと、
日本民族は常住にして変易なし」

これをご説明しましょう。
「自然」というものがあると思ってますね。明治以後は日本人は欧米人の真似をして、五感でわかるものが自然だと思っている。
西洋人と言いますと思想的人種で、昔はギリシャ・ローマ、今は欧米。
これは誠に珍しい人種であって、五感でわからないものはないとしか思えないらしい。こういうのは西洋人という人種以外にない。
だから五感でわからないものはないとしか思えないような頭・心という構造を持った人達の集団を西洋人と、こう定義すりゃいい訳です。

No.48 65ヶ月前

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