芭蕉について少し説明しましょうか。宗祇というのがある。五七五だけどまだ俳句になってなかった。芭蕉の、つまり先達ですね、俳句の。 これがまぁ、ともかくしかし俳句って言いますが、こういう句を詠んだ。 世にふるも 更に時雨の 宿りかな これは国が描きにくいから、日本民族というただ一つの心、これを木の幹に例えますね。 そうするとそれから枝が出ている。その枝の一つ一つが自分ですね、「不死の自分」。 民族の一部だから死なないに決まっている。不死の自分だから何度も何度も人の世に生きる訳です、人として。で、 世にふるも 更に時雨の 宿りかな と言ったら、こんな風に人に生まれて来て人の世を生きる、そうすると日本民族の人の世というものがよくわかる。 つまりこの木の一つの枝がわかるでしょう。これが宗祇の枝。 芭蕉、一本じゃ足りない、どの枝も皆わからなきゃいけない、こう見る。それで、 世にふるも 更に宗祇の 宿りかな いろんな枝の人生、特徴、固有の彩、それを知るためには、この前はこの枝へと生まれた、今度は宗祇の枝だ。それでおしまいじゃ足りないって言う。 こういうのが真我っていう、真の自分。真我は個性が入っちまう。無始の始めからずっとそうして生きてますから。 日本民族は天地開闢以来、無始の始めからある。 それで個性ができちまってる、この真我に。 個人を自分と思う、これ小我っていう。この小我を捨てる。 捨てたら真我になってますね。骨折って真我になったら、それも自分じゃないと捨てる。 そうすると幹だから、大我になってますね。それも自分じゃないと捨てる。 これを三捨という。三捨して初めて、不死の自分と日本民族のつながりとが、すなわち日本民族がわかる。 そうでなきゃわからんから、こうでも言っとくより仕方ない。
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小林よしのりチャンネル
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芭蕉について少し説明しましょうか。宗祇というのがある。五七五だけどまだ俳句になってなかった。芭蕉の、つまり先達ですね、俳句の。
これがまぁ、ともかくしかし俳句って言いますが、こういう句を詠んだ。
世にふるも 更に時雨の 宿りかな
これは国が描きにくいから、日本民族というただ一つの心、これを木の幹に例えますね。
そうするとそれから枝が出ている。その枝の一つ一つが自分ですね、「不死の自分」。
民族の一部だから死なないに決まっている。不死の自分だから何度も何度も人の世に生きる訳です、人として。で、
世にふるも 更に時雨の 宿りかな と言ったら、こんな風に人に生まれて来て人の世を生きる、そうすると日本民族の人の世というものがよくわかる。
つまりこの木の一つの枝がわかるでしょう。これが宗祇の枝。
芭蕉、一本じゃ足りない、どの枝も皆わからなきゃいけない、こう見る。それで、
世にふるも 更に宗祇の 宿りかな
いろんな枝の人生、特徴、固有の彩、それを知るためには、この前はこの枝へと生まれた、今度は宗祇の枝だ。それでおしまいじゃ足りないって言う。
こういうのが真我っていう、真の自分。真我は個性が入っちまう。無始の始めからずっとそうして生きてますから。
日本民族は天地開闢以来、無始の始めからある。
それで個性ができちまってる、この真我に。
個人を自分と思う、これ小我っていう。この小我を捨てる。
捨てたら真我になってますね。骨折って真我になったら、それも自分じゃないと捨てる。
そうすると幹だから、大我になってますね。それも自分じゃないと捨てる。
これを三捨という。三捨して初めて、不死の自分と日本民族のつながりとが、すなわち日本民族がわかる。
そうでなきゃわからんから、こうでも言っとくより仕方ない。