ホプライ のコメント

アメリカの家族という住み方、一つの家族は、家族の各員は皆ピストルを持ってる。
それから人が、家族の誰かの許可を得ないで、家族の住んでいる家に入ったら、撃ち殺すことを法律は保証してる。
日本人があった、それでアメリカへ行って、親しゅうしてるアメリカ人、なんか一人の人の庭を見せてもらってた。
そうすると隣の庭との間の木戸が空いてた。それで、日本でよくやることだが、ついでに隣のお庭も拝見というんでのこのこ入って庭を見てた。
そしたらピストルで撃たれた。それがちょうど腕へ当たった。ちょうどというのは死にもせず、傷も付けられた。
それで訴訟を起こすっていうんで弁護士を呼んだ。そうするとそれは正当防衛だって言われた。だから確実なん。

これが家族という、つまり、集団生活の最小単位です。アメリカの一切の住み方が、これに基づいてある。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を みたいな大自然そのものが家ってもんじゃない。
だから私、例えばテレビでアメリカ物見ますと、こんな人の世の住み方というのは、さくさくとして砂を噛むようなもの。
また一生というのは、努力とかやり甲斐とか見るなら、滓のような人生だ。
そうしか思えない。

それを貴方々は、大多数は、日もこれ足らぬくらい、て、そんなに熱心じゃありませんが、かっこ良いぐらいで真似する。
アメリカの人も相当だけど、その真似しかしない日本人はこれに輪をかけた相当なもの。

その相当な方々に話をする光栄を得た。
何の因果で日本民族の一人に生まれたんだろうと、何度溜息が出るかわからない。
が、仕様がない、ここに生まれたんだから。
で、こんな風だから、日本民族って言って、自分とは何かったら、本質心です。心は重ね合わすと皆一つになる。
殊に日本民族のように、自分は自分という名の自分、他人は他人という名の自分、自然は自然という名の自分とまで言うんだったら、「ただ一つの心」です。
心は真情以上じゃないと合わせられない。不一不二っていうのは阿頼耶識でも真如でもないん。
だから日本民族の一人であるということを十分…自覚って言うのは意や知じゃないん、情に情がわかる。
評論や批評や批判もそれがわからないとできないから資格ないん。
そういう人は皆、ただ一枚の心から、ただ一つの心から生まれて来て、またそこへ帰る一片(ひとひら)の雲が自分だと、そんな風に思う。
例えば吉田松陰、例えば松尾芭蕉。

No.102 65ヶ月前

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