希蝶 のコメント

泉美木蘭のトンデモ見聞録・第130回「レイプを肯定する女、嫉妬する女」

こちらは普通に記します。

人間は嬉しくないときも、楽しくないときも、むしろ悲しい時にも笑える複雑な生き物なのだ、という風な感じを持ちました。笑いとは本来快楽であるはずなのに、この人は何かを我慢して、それこそ修行僧のような表情をしている。いったいどんな責め苦を耐えているのだろう、そんなふうに思えました。
なぜ人間は我慢をするのでしょうか。試練を乗り越えて、自分をグレードアップさせるためならば、それは価値があるのだけれども、ただ苦しみだけが永遠に続くものを「試練」と呼べるのだろうか。
要はこの話は、名誉男性側の一種の自己陶酔にも似た自己逃避ではないか、とも感じられます。他者への依存という点で、いわば精神のひきこもり状態といえるのではないのでしょうか。

何となく、『ゴー宣』差別論のポカQさんをモデルにした漫画を思い出しました。あれも自分の不甲斐なさを、優秀な同僚の「出自」を持ち出すことで、優劣の差を入れ替えようとしている。それをしたところで、自分の能力があがるわけでもなく、むしろ会社全体にとっては損失にしかならない、いな、会社は人材などかわりはいくらでもいると思っているし、実際にそうでもあるのだから、かわりの人が自分よりも優位に立つだけで、彼はまた同じことを繰り返さないといけなくなる。
結局、悪循環が続くだけで、何の解決にもなりはしないのでしょう。そんなことを思いました。名誉男性と化した女性の男性への迎合は、それと同じようなもので、自分ではなく、かわりに座に坐る別の男性を利するだけなのではないのでしょうか。

確かに女性は体力的にも男性よりは劣るのだろうと思いますが、それに開き直ってはいけない、何とかしてそれ以上の智慧や能力を用いて、自分をグレードアップさせなければならない、誰かを揶揄するよりも、まずは自分を鍛えなければならない、とも思います。それで浮かぶ微苦笑だったら、価値はあるのでは、と思うのです。

千葉麗子は戦隊物に出演している時は結構気に入っていたのに、ショックでした。よしりん先生のおっしゃるように、人間は生きていると堕落してしまうのでしょうか。
「シオリ」という名前は、あのかたへの誹謗でもあるのでは、とも感じました。本当にスケールが極小で、レベルが卑猥です。

Yマガジン、うけました。諷刺をするなら、こういう的を射た、何かをグレードアップさせるものであって欲しいです。

最後に「しゃべクリ」ですが、戦う相手は、袋小路くんか、貧ぼっちゃまなのではないのでしょうか?西郷秀樹の歌を思い出しながら、考えてみました。
以上です。

No.70 59ヶ月前

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