№5362を直します。かなり感情的になってしまったようなので。もう少し笑えるようなものにします。 木蘭さんの方の感想を記します。 前回の「抗拒不能」判決例も、常識的な裁判官は存在するもので、それに比べて詩織さんの裁判官や弁護士は、というふうに感じましたが、今回のメールの意図的な曲解もひどいものだと思いました。 あまり感想と関係ないですが、思い出した話があるので、この場に記すことを許してください。もう昔の話なのですが。 ある知り合いが、とあるアルバイト先から「解雇問題」で揉めて(相手側は解雇の意識はない、と最後まで言っていたそうです)、人事担当者の知人と称する匿名の人より「貴方の所為で上司に頭を下げた彼は面目を失い、病に倒れた。いったいその人の人生をどうしてくれるのですか。貴殿の誠意ある対応をお願いします」というメールを受けとりました。 「それはそちらの事情でしょう」という返事をその人がおくると、今度は「スタッフ一同」と称する「とにかく、彼の人生を何とかしてください。あなた様の今後の健康とご自愛をお祈り致します」という返事を貰ったそうです。 失礼だとも思いますが、木蘭さんの「親睦メール」(とりわけ木蘭さんの事例の方)の話を聞いて、この故事を思い出しました。まさか、裁判官でも、このメールを見て、「あなた様の今後の健康とご自愛をお祈りいたします」と書いてあるから、会社からの親睦メールだ、なんて言わないでしょう。解雇問題がこじれた末の結末、ととるのが常識ではありますまいか。 確かにそのアルバイトをしていた人の仕事がどういうものだったのかは分かりません。自身では一生懸命その会社に尽くしているつもりでも、落ち度もあったのかもしれません。おろかな対応をしたこともあったのでしょう。 しかし、なぜ首切りをされた側が、相手の会社の交渉人の人生の「補償」をしないといけないのでしょうか。責任を持つとしたら、その相手の会社か、その人の上司でしょう。「弱者を装って弱者を痛めつける」、とはこういうのを言うのか、とその話を聞いて思いました。だから「強者」にならないと駄目なわけで、「力がすべて」ではなく、「道義が大事」なのかとも思います。 しかし、この人の感情や行動を思い返してみると、その仕事への「愛着」のようなものが見え隠れしており、「解脱」や「執着を断つ」といった心境には達していないのだな、という気がしてきました。人間、あまりに感情移入しすぎると、相手への見境のない行動へと駆り立てられてしまって、冷静さを失ってしまうものなのでしょうか。よしりん先生は「わしに執着するな」とおっしゃられますが、一生懸命になればなるほど「愛着」の念が生まれてしまい、我を忘れてしまうものなのかもしれません。 何となく「杜子春」の物語を思い出しました。芥川龍之介ではなく、中国の原話の杜子春は女に生まれかわり、唖のまま結婚して子供をなすのだけれども、物言わぬ妻を見た夫に息子を殺され、思わず「あっ」と声を出してしまいます。結果、仙人の膏薬つくりは失敗し、杜子春は導師に責められ、下山する、という話なのです。 しかし、それでなければ「人間」ではないのでは、という気もしています。「愛」や「情熱」をなくした人生に何の価値があるのか、とも思うのです。 ただし、人に迷惑をかけることは絶対にしてはいけませんが。そういうふうに自身を第三者の目で見る余裕は持てたら、と。 テーマが脱線しました。偉そうなことばかり言ってしまいました。ご堪忍のほどを。第三者から「裁判はその人の思っているような正義の場ではない。相手を故意におとしめたり、醜い話も出てくるものだよ」とは言われたそうです。裁判(争い)に勝つためなら、何でもOK、みたいな悪い風潮があるのだ、と。また「まずはこちらの人生をどうしてくれるのですか」というメールは相手に返したらしいです。今、相手側にこの話をしたところで、彼が「被害妄想に陥っている」としか言われないのかもしれません。恐らく事情を知らない人もそのように解するのだろうとも。こういう場合、是とされるのは、会社の個人への総合評価の方であって、個人の努力など無に等しいのでしょう。その後の話は飛ばします。世の中には、こういう仕事の失敗談もあるものだとでも思ってください。 詩織さんの話にもどすと、Y氏より暴行を受けたショックで、頭が混乱し、事務的で感情のこもっていないメールを返すことは十分あり得ることです。詩織さんも、「あの日」がなかったら良かったのに、とどれだけ思ったことだろうと思います。でも、一度起こったことはなくならないのです。記憶喪失にでもなれたら、とも思いましたが、それでは問題の根本的な解決にはならないでしょう。 こんな感じで宜しいでしょうか。変な事例を出してしまったことをお詫びします。
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№5362を直します。かなり感情的になってしまったようなので。もう少し笑えるようなものにします。
木蘭さんの方の感想を記します。
前回の「抗拒不能」判決例も、常識的な裁判官は存在するもので、それに比べて詩織さんの裁判官や弁護士は、というふうに感じましたが、今回のメールの意図的な曲解もひどいものだと思いました。
あまり感想と関係ないですが、思い出した話があるので、この場に記すことを許してください。もう昔の話なのですが。
ある知り合いが、とあるアルバイト先から「解雇問題」で揉めて(相手側は解雇の意識はない、と最後まで言っていたそうです)、人事担当者の知人と称する匿名の人より「貴方の所為で上司に頭を下げた彼は面目を失い、病に倒れた。いったいその人の人生をどうしてくれるのですか。貴殿の誠意ある対応をお願いします」というメールを受けとりました。
「それはそちらの事情でしょう」という返事をその人がおくると、今度は「スタッフ一同」と称する「とにかく、彼の人生を何とかしてください。あなた様の今後の健康とご自愛をお祈り致します」という返事を貰ったそうです。
失礼だとも思いますが、木蘭さんの「親睦メール」(とりわけ木蘭さんの事例の方)の話を聞いて、この故事を思い出しました。まさか、裁判官でも、このメールを見て、「あなた様の今後の健康とご自愛をお祈りいたします」と書いてあるから、会社からの親睦メールだ、なんて言わないでしょう。解雇問題がこじれた末の結末、ととるのが常識ではありますまいか。
確かにそのアルバイトをしていた人の仕事がどういうものだったのかは分かりません。自身では一生懸命その会社に尽くしているつもりでも、落ち度もあったのかもしれません。おろかな対応をしたこともあったのでしょう。
しかし、なぜ首切りをされた側が、相手の会社の交渉人の人生の「補償」をしないといけないのでしょうか。責任を持つとしたら、その相手の会社か、その人の上司でしょう。「弱者を装って弱者を痛めつける」、とはこういうのを言うのか、とその話を聞いて思いました。だから「強者」にならないと駄目なわけで、「力がすべて」ではなく、「道義が大事」なのかとも思います。
しかし、この人の感情や行動を思い返してみると、その仕事への「愛着」のようなものが見え隠れしており、「解脱」や「執着を断つ」といった心境には達していないのだな、という気がしてきました。人間、あまりに感情移入しすぎると、相手への見境のない行動へと駆り立てられてしまって、冷静さを失ってしまうものなのでしょうか。よしりん先生は「わしに執着するな」とおっしゃられますが、一生懸命になればなるほど「愛着」の念が生まれてしまい、我を忘れてしまうものなのかもしれません。
何となく「杜子春」の物語を思い出しました。芥川龍之介ではなく、中国の原話の杜子春は女に生まれかわり、唖のまま結婚して子供をなすのだけれども、物言わぬ妻を見た夫に息子を殺され、思わず「あっ」と声を出してしまいます。結果、仙人の膏薬つくりは失敗し、杜子春は導師に責められ、下山する、という話なのです。
しかし、それでなければ「人間」ではないのでは、という気もしています。「愛」や「情熱」をなくした人生に何の価値があるのか、とも思うのです。
ただし、人に迷惑をかけることは絶対にしてはいけませんが。そういうふうに自身を第三者の目で見る余裕は持てたら、と。
テーマが脱線しました。偉そうなことばかり言ってしまいました。ご堪忍のほどを。第三者から「裁判はその人の思っているような正義の場ではない。相手を故意におとしめたり、醜い話も出てくるものだよ」とは言われたそうです。裁判(争い)に勝つためなら、何でもOK、みたいな悪い風潮があるのだ、と。また「まずはこちらの人生をどうしてくれるのですか」というメールは相手に返したらしいです。今、相手側にこの話をしたところで、彼が「被害妄想に陥っている」としか言われないのかもしれません。恐らく事情を知らない人もそのように解するのだろうとも。こういう場合、是とされるのは、会社の個人への総合評価の方であって、個人の努力など無に等しいのでしょう。その後の話は飛ばします。世の中には、こういう仕事の失敗談もあるものだとでも思ってください。
詩織さんの話にもどすと、Y氏より暴行を受けたショックで、頭が混乱し、事務的で感情のこもっていないメールを返すことは十分あり得ることです。詩織さんも、「あの日」がなかったら良かったのに、とどれだけ思ったことだろうと思います。でも、一度起こったことはなくならないのです。記憶喪失にでもなれたら、とも思いましたが、それでは問題の根本的な解決にはならないでしょう。
こんな感じで宜しいでしょうか。変な事例を出してしまったことをお詫びします。