hiro のコメント

失礼しまして、
歴代の女性天皇が軽視されているのではないか?
ということについて投稿させていただきます。

古代史について詳しいわけではありませんが、
一応中学校社会の教員免許は持っています。

まずは「最初の女帝」推古天皇ですが、
小中学校の授業でも聖徳太子が摂政となったのは、
天皇が女性で頼りないからだ、
推古天皇はお飾りで実質は全て聖徳太子がやっていた、
というような説明をされることもあるかと思います。
ですが摂政という役職は当時は
「天皇が女性や未成年の時に置くもの」と定義づけられているものではありません。
・ 律令において摂政を執る役職は規定されなかった。
・ 摂政(という言葉の)の初見は応神天皇のときの母神功皇后
・ 866年に藤原良房が臣下として初めて摂政となった。ただし、良房が摂政に就任したときには清和天皇は既に成人した後
・ 幼少の天皇には摂政が、成人後の天皇には関白が置かれる慣例が確立したのは61代の天皇(朱雀天皇)の在位中に摂政から関白に転じた藤原忠平が初例であるとされている。ということです。
後の摂政が天皇の政務を代行していた、藤原氏が摂関政治で牛耳っていた、というイメージから推古天皇のときもそうだった、と考え過ぎられているのでは?と思います。
「天皇中心の体制が確立した」時の天皇が何もしていないということはないと思うのですが。

続いて斉明天皇は天智天皇が蘇我氏を滅ぼした後、自分が即天皇になればあからさまだからお飾りに自分の母親を天皇にして自分が皇太子として実権を握り、大化の改新をした、という説明です。
斉明天皇という言葉も出てきません。

さらに持統天皇についても、
大化の改新、壬申の乱から大仏ぐらいまで説明がとんだりします。
藤原京などに遷都、大宝律令ということは別立てで出てきても、それは誰が?とうことやその時代は持統天皇が、ということが授業では登場しません。(でしょ?)

それら女性天皇の軽視は後の男尊女卑思想からきているところもあって、DDDにもつながっているのではないか?と思うわけです。

No.74 67ヶ月前

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