今週も配信ありがとうございます! お疲れ様です。 「ゴー宣」読みました。 現状で現実的に安倍晋三氏以降の首相候補として、 選ばれるのは自民党内からでしょう。 枝野幸男氏にいくら思い入れがあったとしても、 現実的に政権を獲れるかどうかというところになりますと、 それは難しいと言わざるを得ません。 それでは、小泉進次郎氏や自民党の(石破氏以外の)他候補として上がりそうな人物を見てどうかというと、 やはり、安倍氏もどうしようもないですが、次期首相候補として、他の人達もいまいち決め手に欠けます。 石破氏の政策には、石破氏の親米故に出ているであろう政策について、どうしても賛同することは出来ず、 特に、集団的自衛権の問題や、原発の問題など、相容れないところはどうしてもあります。 (親米・従米という点では誰も同じでしょうし。親中の政治家も従米でしょうし) でも、現実的な選択肢の中では、やはり石破氏が最適と言わざるを得ません。 枝野氏は、党内の強固な左翼に絡めとられているせいで(この点、枝野氏の「立憲民主党に教条的護憲派はいない」という発言に、 枝野氏の覚悟を見たところは当時としてあったところもありつつも、 やはり、同じ新自由主義内での違いを巡って与野党に分かれて戦う構図というのは変わっていなくて、 野党に左翼が形を変えて残り続ける構図も変わっていないと思います。 自称保守も、左翼と実質変わらないイデオロギーにハマっている中、 ここからどの様に、保守としてのバランスを取って行くかが問われるところだと思います。 真のリベラルを標榜する井上達夫氏が、小林先生から見ると、それは保守ではないかという見立て、 そこが保守を目指す人と、リベラルを目指す人、互いにその目標を真摯に目指している人の到達点であり、 分水嶺であるように思います。 井上氏もそこに到達しているとまでは言えなくて、そこに近付こうとしている学者さんなのかなと。 安倍が女性宮家の問題に関して、一見寛容な姿勢を見せたように見えたところで、 それは罠ではないかという指摘は至極真っ当だと思います。 今ある条件から最善を尽くすしかないということは、 これもまた、歴史に学んでいることではないかと思います。 先人達も、先人達がリアルタイムで生きていた「今」の条件で、 どう最善を尽くすかということを模索していたのだと思います。 いくら言っても覆すことが出来ない状況になって気が付いて、 そこで声を挙げたところで遅いということだと思います。 「トンデモ見聞録」読みました。 私は1969年生まれで、1970年代、1980年代と、学生時代を過ごしましたが、 小学校時代(低学年)は、男女共に同じ教室で着替えていたように思います。 「ジェンダー」に「グラデーション」があるという考えにも賛同し難く、 「セクハラ」には「グラデーション」があると思いますが、 「ジェンダー」にはないのではないかと。 それは、LだのGだのBだのTだのという違い=グラデーションではないのだろうと。 LGBTの人達の中にも、生まれついてのジェンダーへの悩みを抱える人も多いかと思いますが、 「男らしさの自由」「女らしさの自由」「自分らしさの自由」とは、 また違った次元での違和感を思う人もいるのではないかと。 社会的に後天的に「男らしさ」「女らしさ」を子供に教育しようとする前の時点で、 子供が生まれながらに「男らしさ」「女らしさ」に反応してしまうところは、 それはもう、先天的なものではないのかと。 勿論、生まれながらの「男脳」「女脳」というのはあろうかとは思いますが。 また、世間へ子供を泳ぎ出させる前の段階で、 自然の摂理に逆らってまで、 「ジェンダーフリー」に沿って子供を染めることは危険ではないかと。 「男女平等」とは、真の意味で「平等」なのかどうかというところに行き着くところもありますね。 「男は」「女は」と教育したところで、 それとは違うところにいく男女がいることも、泉美先生は分かっておられますし、 今回の記事の中でも書いておられます。 その上で、イデオロギーで自然な思いまでも翻意を強いるような・・・というところを考えていかなければならないと思います。 そういう常識があってこそ、 例えば「転校生」や「君の名は」などのような男女入れ替わり作品や、 そこまで行かなくても、男女の機微を描くような作品は、 今でも成り立つのかなと。 勿論、かつての亭主関白的な家庭を描くドラマが、一般的に成り立たなくなっていることも分かった上で、 それでも、そういう家庭は全て不幸かというと、そうでもなくて、 現代でも成り立っているところもあるということも考えるべきですね。 その家庭の存在も認める、ということも、真のリベラルが目指す寛容性ではないのでしょうか。 追伸:Q&Aありがとうございます! 進歩思想は余り信じていないけれども、ある普遍性に向かって進むべきだとする先生の考え、 先生の元へ届く手紙についてのこと、いろいろと知ることが出来て、 考えるきっかけになりました。 私以外の方々の質問と回答では、叢叡世さん、希蝶さん、がんTさん、anamochiさん、hiroさんの質問と回答が個人的に印象に残りました。 しゃべクリは、ふぇいさんのネタが個人的にツボでした。
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(ID:13120218)
今週も配信ありがとうございます!
お疲れ様です。
「ゴー宣」読みました。
現状で現実的に安倍晋三氏以降の首相候補として、
選ばれるのは自民党内からでしょう。
枝野幸男氏にいくら思い入れがあったとしても、
現実的に政権を獲れるかどうかというところになりますと、
それは難しいと言わざるを得ません。
それでは、小泉進次郎氏や自民党の(石破氏以外の)他候補として上がりそうな人物を見てどうかというと、
やはり、安倍氏もどうしようもないですが、次期首相候補として、他の人達もいまいち決め手に欠けます。
石破氏の政策には、石破氏の親米故に出ているであろう政策について、どうしても賛同することは出来ず、
特に、集団的自衛権の問題や、原発の問題など、相容れないところはどうしてもあります。
(親米・従米という点では誰も同じでしょうし。親中の政治家も従米でしょうし)
でも、現実的な選択肢の中では、やはり石破氏が最適と言わざるを得ません。
枝野氏は、党内の強固な左翼に絡めとられているせいで(この点、枝野氏の「立憲民主党に教条的護憲派はいない」という発言に、
枝野氏の覚悟を見たところは当時としてあったところもありつつも、
やはり、同じ新自由主義内での違いを巡って与野党に分かれて戦う構図というのは変わっていなくて、
野党に左翼が形を変えて残り続ける構図も変わっていないと思います。
自称保守も、左翼と実質変わらないイデオロギーにハマっている中、
ここからどの様に、保守としてのバランスを取って行くかが問われるところだと思います。
真のリベラルを標榜する井上達夫氏が、小林先生から見ると、それは保守ではないかという見立て、
そこが保守を目指す人と、リベラルを目指す人、互いにその目標を真摯に目指している人の到達点であり、
分水嶺であるように思います。
井上氏もそこに到達しているとまでは言えなくて、そこに近付こうとしている学者さんなのかなと。
安倍が女性宮家の問題に関して、一見寛容な姿勢を見せたように見えたところで、
それは罠ではないかという指摘は至極真っ当だと思います。
今ある条件から最善を尽くすしかないということは、
これもまた、歴史に学んでいることではないかと思います。
先人達も、先人達がリアルタイムで生きていた「今」の条件で、
どう最善を尽くすかということを模索していたのだと思います。
いくら言っても覆すことが出来ない状況になって気が付いて、
そこで声を挙げたところで遅いということだと思います。
「トンデモ見聞録」読みました。
私は1969年生まれで、1970年代、1980年代と、学生時代を過ごしましたが、
小学校時代(低学年)は、男女共に同じ教室で着替えていたように思います。
「ジェンダー」に「グラデーション」があるという考えにも賛同し難く、
「セクハラ」には「グラデーション」があると思いますが、
「ジェンダー」にはないのではないかと。
それは、LだのGだのBだのTだのという違い=グラデーションではないのだろうと。
LGBTの人達の中にも、生まれついてのジェンダーへの悩みを抱える人も多いかと思いますが、
「男らしさの自由」「女らしさの自由」「自分らしさの自由」とは、
また違った次元での違和感を思う人もいるのではないかと。
社会的に後天的に「男らしさ」「女らしさ」を子供に教育しようとする前の時点で、
子供が生まれながらに「男らしさ」「女らしさ」に反応してしまうところは、
それはもう、先天的なものではないのかと。
勿論、生まれながらの「男脳」「女脳」というのはあろうかとは思いますが。
また、世間へ子供を泳ぎ出させる前の段階で、
自然の摂理に逆らってまで、
「ジェンダーフリー」に沿って子供を染めることは危険ではないかと。
「男女平等」とは、真の意味で「平等」なのかどうかというところに行き着くところもありますね。
「男は」「女は」と教育したところで、
それとは違うところにいく男女がいることも、泉美先生は分かっておられますし、
今回の記事の中でも書いておられます。
その上で、イデオロギーで自然な思いまでも翻意を強いるような・・・というところを考えていかなければならないと思います。
そういう常識があってこそ、
例えば「転校生」や「君の名は」などのような男女入れ替わり作品や、
そこまで行かなくても、男女の機微を描くような作品は、
今でも成り立つのかなと。
勿論、かつての亭主関白的な家庭を描くドラマが、一般的に成り立たなくなっていることも分かった上で、
それでも、そういう家庭は全て不幸かというと、そうでもなくて、
現代でも成り立っているところもあるということも考えるべきですね。
その家庭の存在も認める、ということも、真のリベラルが目指す寛容性ではないのでしょうか。
追伸:Q&Aありがとうございます!
進歩思想は余り信じていないけれども、ある普遍性に向かって進むべきだとする先生の考え、
先生の元へ届く手紙についてのこと、いろいろと知ることが出来て、
考えるきっかけになりました。
私以外の方々の質問と回答では、叢叡世さん、希蝶さん、がんTさん、anamochiさん、hiroさんの質問と回答が個人的に印象に残りました。
しゃべクリは、ふぇいさんのネタが個人的にツボでした。