伊藤詩織さんの『Black Box』を読みました。まえがきから引き込まれ、一気に読み終えました。 第一章は、波瀾万丈で、読んでいてワクワクして、とても面白かったです。なぜ、ジャーナリストを目指したのかも、よく分かりました。 事件の描写は、生々しくて、戦慄を覚えました。小林先生が生放送で話されていましたが、同じように、自分を詩織さんに重ねていました。当事者の女性の気持ちが、直に、伝わって来るようでした。 事件直後の描写も、やはり生々しく、我が身に置き換えると、痛みが伝わってくるようでした。 また、最愛の人たちに、事件後すぐに会わねばならなかった事、これには運命の冷酷さ、非情さを感じました。読み終わった今は、必然とも感じられるのですが、当時の詩織さんの心情を察すると、胸が張り裂けそうになります。 その後、少しずつ、少しずつ前に進んで行く詩織さん、色々な事、やれる事全てを実行に移す詩織さん、何処かに突破口があるだろうと諦めない詩織さんは、小林先生と重なりました。 また、常に周りにいてくれる、決して裏切らないご友人たちの存在は、一筋の光明のようで、とても頼もしく、そして心強かったです。 そして、ご家族との絆、とくに妹さんへの愛情は、とても伝わってまいりました。 山口氏のメールは、彼の人格が滲み出ているようでしたね。身勝手で、保身しか頭になく、プライドが高い。誠意のカケラも感じません。 そんな人間と、事件後、自らやりとりし、時には電話で声を聞く。どれほど耐え難く、屈辱的で、どれほどの、おぞましさだっただろうか…。例える言葉も、見付からない思いが致します。 事件直後の医療機関やサポート機関の対応には、改善出来る点が多そうですね。気付き、少し変えてくれるだけで、被害者が救われる面も相当増すでしょうし、証拠も残る。 警察・司法機関などの対応の粗さ、足りなさにも絶句しました。強姦事件の扱いの低さが伝わってくる気がしました。 日本の古来から続いた性へのオープンさ、明治以降の男尊女卑の感覚などが、性犯罪被害への対応の遅さや鈍さに繋がってはいまいか、などとも考えました。 高輪署のA氏の協力を得て、逮捕状発行に漕ぎ着くまで、それを握り潰され、再捜査で不起訴が決まるも、検察審査会に申し立てをし、記者会見を開くに到るまで、伊藤詩織さんの不屈の精神力、正義や真実への探求力は、圧巻でした。その人間的魅力ゆえ、信頼出来るご友人たちが、周りに集まるのでしょうね。 実例を上げながら、準強姦罪を検証する章では、更に深く、現状の問題点や実態が見えた気がしました。合意の壁には、感情の機微を考える日本人の悪い面が現れているのでしょうか。 ゴルフを習っていた高校生の女性の判例には、ただただ同情を致します。 山口氏を含む、性犯罪事件の加害者の醜悪さ、そして、犯罪を揉み消そうとする権力者の醜悪さ、これは一体、何なのでしょうか。卑怯、この言葉から来る物、でしょうか。 最終ページの、『あなたは、どう考えるであろうか。』の言葉が、とても印象的でした。 また、あとがきの、『本当は誰にも知られたくなかった、話したくもなかった、口に出したくもなかった。正直に言うと、本に書くことすら嫌だった。』との言葉が、胸に突き刺さりました。 伊藤さんは、『山口氏への憎悪や怒りの感情は全くありません』とおっしゃいます。本を読み終わり、そうなのだろうな、そういうのじゃないのだろうな、と思えます。 だからこそ、前にも進めたし、伝えていく事も出来るのだろうなと感じています。 このような言葉を使うのは適切ではないかも知れませんが、宿命であったのかも知れないと、考えております。小林先生の前に、次々と難題が立ち塞がるのと同じように。
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伊藤詩織さんの『Black Box』を読みました。まえがきから引き込まれ、一気に読み終えました。
第一章は、波瀾万丈で、読んでいてワクワクして、とても面白かったです。なぜ、ジャーナリストを目指したのかも、よく分かりました。
事件の描写は、生々しくて、戦慄を覚えました。小林先生が生放送で話されていましたが、同じように、自分を詩織さんに重ねていました。当事者の女性の気持ちが、直に、伝わって来るようでした。
事件直後の描写も、やはり生々しく、我が身に置き換えると、痛みが伝わってくるようでした。
また、最愛の人たちに、事件後すぐに会わねばならなかった事、これには運命の冷酷さ、非情さを感じました。読み終わった今は、必然とも感じられるのですが、当時の詩織さんの心情を察すると、胸が張り裂けそうになります。
その後、少しずつ、少しずつ前に進んで行く詩織さん、色々な事、やれる事全てを実行に移す詩織さん、何処かに突破口があるだろうと諦めない詩織さんは、小林先生と重なりました。
また、常に周りにいてくれる、決して裏切らないご友人たちの存在は、一筋の光明のようで、とても頼もしく、そして心強かったです。
そして、ご家族との絆、とくに妹さんへの愛情は、とても伝わってまいりました。
山口氏のメールは、彼の人格が滲み出ているようでしたね。身勝手で、保身しか頭になく、プライドが高い。誠意のカケラも感じません。
そんな人間と、事件後、自らやりとりし、時には電話で声を聞く。どれほど耐え難く、屈辱的で、どれほどの、おぞましさだっただろうか…。例える言葉も、見付からない思いが致します。
事件直後の医療機関やサポート機関の対応には、改善出来る点が多そうですね。気付き、少し変えてくれるだけで、被害者が救われる面も相当増すでしょうし、証拠も残る。
警察・司法機関などの対応の粗さ、足りなさにも絶句しました。強姦事件の扱いの低さが伝わってくる気がしました。
日本の古来から続いた性へのオープンさ、明治以降の男尊女卑の感覚などが、性犯罪被害への対応の遅さや鈍さに繋がってはいまいか、などとも考えました。
高輪署のA氏の協力を得て、逮捕状発行に漕ぎ着くまで、それを握り潰され、再捜査で不起訴が決まるも、検察審査会に申し立てをし、記者会見を開くに到るまで、伊藤詩織さんの不屈の精神力、正義や真実への探求力は、圧巻でした。その人間的魅力ゆえ、信頼出来るご友人たちが、周りに集まるのでしょうね。
実例を上げながら、準強姦罪を検証する章では、更に深く、現状の問題点や実態が見えた気がしました。合意の壁には、感情の機微を考える日本人の悪い面が現れているのでしょうか。
ゴルフを習っていた高校生の女性の判例には、ただただ同情を致します。
山口氏を含む、性犯罪事件の加害者の醜悪さ、そして、犯罪を揉み消そうとする権力者の醜悪さ、これは一体、何なのでしょうか。卑怯、この言葉から来る物、でしょうか。
最終ページの、『あなたは、どう考えるであろうか。』の言葉が、とても印象的でした。
また、あとがきの、『本当は誰にも知られたくなかった、話したくもなかった、口に出したくもなかった。正直に言うと、本に書くことすら嫌だった。』との言葉が、胸に突き刺さりました。
伊藤さんは、『山口氏への憎悪や怒りの感情は全くありません』とおっしゃいます。本を読み終わり、そうなのだろうな、そういうのじゃないのだろうな、と思えます。
だからこそ、前にも進めたし、伝えていく事も出来るのだろうなと感じています。
このような言葉を使うのは適切ではないかも知れませんが、宿命であったのかも知れないと、考えております。小林先生の前に、次々と難題が立ち塞がるのと同じように。