新生『SAPIO』読みました。 小林先生やトッキーさんがブログで書かれていた通り、装丁が上品で落ち着いたものになっているし、全編カラーページで写真が多用されているので、保存版として手元に置いておきたいと感じました。 以前の『SAPIO』はネトウヨ的な記事が多く、表紙もやや物騒な感じがして、『大東亜論』や『ゴー宣』が掲載されているとしても購入するのがためらわれるものでした。 不定期刊になったのに際して、編集がまともな方向に改善されたのでしょうか。 『新潮45』の廃刊を目の当たりにして、何か考えるところがあったのかもしれませんね。 だとすれば、「休刊」ではなく「不定期刊」にして、絶やすことなく命脈を保っておく方策を採ったのは良かったと思います。 内容ですが、冒頭の佐藤優と片山杜秀の対談で、随分と引っかかるところがありました。 「昭和天皇は明治天皇と重なる部分が多い。今上天皇には大正天皇との共通性がある」 「右派もリベラル派も同じ天皇を担ごうとしていることに、国民もそこに違和感を抱いていない。でもそれだけ国民にとって天皇家が身近な存在となり、天皇神話がどんどん浸透してきている証左です」 「では皇太子はどうか。私には"公"よりも、"私"の方の比重が大きいように思えます」 「明治、大正、昭和は、国民に天皇の崩御によって元号が変わる体験を刷り込んで終わりました。(中略)その国民的な体験の再現を今上天皇は「譲位」によって自らの意志で手放してしまった」 ところが、その後に続く小林先生の『ゴー宣』、そして高森明勅先生と友納尚子氏の文章を読めば、この対談の中身がいかに見当違いで、庶民の感覚とかけ離れた歪んだ見方に則っているかがあからさまに分かってしまいます。 いやいや、貴方たち二人の「天皇観」に国民は思いきり違和感を抱きますから!! 『SAPIO』さん、この掲載順、ワザとですか?(笑) 小林先生と八木秀次との対談再録も含めて、正気に戻った『SAPIO』編集部は、長年雑誌の売り上げに貢献してくれていた小林先生へのリスペクトを意識したのではないでしょうか? 敢えて不届きな対談を冒頭に掲載したのは、いわゆる「ネタ振り」というやつで、それを論破する『ゴー宣』を後ろに置くことで、インパクトをより大きなものへと演出したのでは? あと、男系固執派の櫻井よしこ氏が、皇室を守ることの必要性を訴えた上で、「皇室と日本国民の未来につながるような、皇室典範の改正が急務です」と締めくくっていたのには、少し驚きました。 文脈からして男系男子を改正せよ、ということを訴えているわけではないようですが、典範改正に言及したのはこれが初めてではないかと思います。 これはあくまで希望的観測なのですが、近年の政界と言論界の目に余る醜悪ぶりに、世の中の空気感が徐々に変わってきていて、それを受けてメディアや言論人も変わりつつあるのかな、と(目が覚めたというだけでなく、打算的な場合もあるでしょうけど)。 まともな言論は少しずつでも確実に受け取られていて、それが空気感を変えていっているのではないでしょうか。 ジャーナリスト・Yが小林先生を訴えるという奇行に出たのも、『Black Box』の内容が確実に刺さっているからですよね。 もちろん、安心できるレベルではないので、引き続きメディアや言論人の動きには目を配っておく必要はあるでしょうけど、今回の『SAPIO』のようなまともな言論が受け取られる(商売になる)市場が、ある程度は保証されている状況は頼もしく感じます。 将来的に、『SAPIO』が隔週刊へと復活して、『大東亜論・完結編』が連載されるようになればいいなあ、と思っております。
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新生『SAPIO』読みました。
小林先生やトッキーさんがブログで書かれていた通り、装丁が上品で落ち着いたものになっているし、全編カラーページで写真が多用されているので、保存版として手元に置いておきたいと感じました。
以前の『SAPIO』はネトウヨ的な記事が多く、表紙もやや物騒な感じがして、『大東亜論』や『ゴー宣』が掲載されているとしても購入するのがためらわれるものでした。
不定期刊になったのに際して、編集がまともな方向に改善されたのでしょうか。
『新潮45』の廃刊を目の当たりにして、何か考えるところがあったのかもしれませんね。
だとすれば、「休刊」ではなく「不定期刊」にして、絶やすことなく命脈を保っておく方策を採ったのは良かったと思います。
内容ですが、冒頭の佐藤優と片山杜秀の対談で、随分と引っかかるところがありました。
「昭和天皇は明治天皇と重なる部分が多い。今上天皇には大正天皇との共通性がある」
「右派もリベラル派も同じ天皇を担ごうとしていることに、国民もそこに違和感を抱いていない。でもそれだけ国民にとって天皇家が身近な存在となり、天皇神話がどんどん浸透してきている証左です」
「では皇太子はどうか。私には"公"よりも、"私"の方の比重が大きいように思えます」
「明治、大正、昭和は、国民に天皇の崩御によって元号が変わる体験を刷り込んで終わりました。(中略)その国民的な体験の再現を今上天皇は「譲位」によって自らの意志で手放してしまった」
ところが、その後に続く小林先生の『ゴー宣』、そして高森明勅先生と友納尚子氏の文章を読めば、この対談の中身がいかに見当違いで、庶民の感覚とかけ離れた歪んだ見方に則っているかがあからさまに分かってしまいます。
いやいや、貴方たち二人の「天皇観」に国民は思いきり違和感を抱きますから!!
『SAPIO』さん、この掲載順、ワザとですか?(笑)
小林先生と八木秀次との対談再録も含めて、正気に戻った『SAPIO』編集部は、長年雑誌の売り上げに貢献してくれていた小林先生へのリスペクトを意識したのではないでしょうか?
敢えて不届きな対談を冒頭に掲載したのは、いわゆる「ネタ振り」というやつで、それを論破する『ゴー宣』を後ろに置くことで、インパクトをより大きなものへと演出したのでは?
あと、男系固執派の櫻井よしこ氏が、皇室を守ることの必要性を訴えた上で、「皇室と日本国民の未来につながるような、皇室典範の改正が急務です」と締めくくっていたのには、少し驚きました。
文脈からして男系男子を改正せよ、ということを訴えているわけではないようですが、典範改正に言及したのはこれが初めてではないかと思います。
これはあくまで希望的観測なのですが、近年の政界と言論界の目に余る醜悪ぶりに、世の中の空気感が徐々に変わってきていて、それを受けてメディアや言論人も変わりつつあるのかな、と(目が覚めたというだけでなく、打算的な場合もあるでしょうけど)。
まともな言論は少しずつでも確実に受け取られていて、それが空気感を変えていっているのではないでしょうか。
ジャーナリスト・Yが小林先生を訴えるという奇行に出たのも、『Black Box』の内容が確実に刺さっているからですよね。
もちろん、安心できるレベルではないので、引き続きメディアや言論人の動きには目を配っておく必要はあるでしょうけど、今回の『SAPIO』のようなまともな言論が受け取られる(商売になる)市場が、ある程度は保証されている状況は頼もしく感じます。
将来的に、『SAPIO』が隔週刊へと復活して、『大東亜論・完結編』が連載されるようになればいいなあ、と思っております。