SPA!最新号に掲載の『シュマリと表現の自由』を拝読しました。手塚治虫が本当に描きたかったストーリーを断念せざるを得なかった無念さやアイヌの人たちの置かれている状況に対する小林先生の思いや、表現の自由を守ろうとする姿に、胸が熱くなりました。 香山リカと古谷経衡のやっていることは、言論ではなくただのマウンティングですね。言論を通じて真実を明らかにしたいのではなく、自分の支持者や仕事をくれる人たちに「自分の方がよしりんより上」という見せかけを示したいだけ。それゆえ、自分の言動の中身は実はどうでもよく、デマを平気でまき散らすことができるのでしょう。 そして、マウンティング・ポーズをとりたがるのは自分に何もないからで、自分にとって都合のいい絶対正義や権威(「学者」という肩書とか)を設定し、そこにしがみつきたいだけですね。まさに、弱者のルサンチマン。 何かにしがみつく必要がなく公という視点から言論をできる強者よしりんと、自分の何もなさを隠ぺいするため絶対正義を振りかざす弱者香山・ツネヒラでは、最初からどちらが正しいか決着がついていると言えるでしょう。 「表現の自由」は社会のために守らねばならないことですが、「マウンティングの自由」は断固反対しなければいけないと思います。
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SPA!最新号に掲載の『シュマリと表現の自由』を拝読しました。手塚治虫が本当に描きたかったストーリーを断念せざるを得なかった無念さやアイヌの人たちの置かれている状況に対する小林先生の思いや、表現の自由を守ろうとする姿に、胸が熱くなりました。
香山リカと古谷経衡のやっていることは、言論ではなくただのマウンティングですね。言論を通じて真実を明らかにしたいのではなく、自分の支持者や仕事をくれる人たちに「自分の方がよしりんより上」という見せかけを示したいだけ。それゆえ、自分の言動の中身は実はどうでもよく、デマを平気でまき散らすことができるのでしょう。
そして、マウンティング・ポーズをとりたがるのは自分に何もないからで、自分にとって都合のいい絶対正義や権威(「学者」という肩書とか)を設定し、そこにしがみつきたいだけですね。まさに、弱者のルサンチマン。
何かにしがみつく必要がなく公という視点から言論をできる強者よしりんと、自分の何もなさを隠ぺいするため絶対正義を振りかざす弱者香山・ツネヒラでは、最初からどちらが正しいか決着がついていると言えるでしょう。
「表現の自由」は社会のために守らねばならないことですが、「マウンティングの自由」は断固反対しなければいけないと思います。