ゴーマニズム宣言・第310回「制度のために眞子さまを駒として扱えない」 私の小室さん騒動についての感想は前回記したことに尽きていますが、ライジング258の「眞子さまを信じる」で良いのではないか、と思います。こういうことでも言いがかりをつける輩を「暇人」だと思います。これ以上書きたくないです。 トンデモ見聞録第112回「新宿レポート:なぜこんなにネパール人が多い」 私は以前、個別指導塾の講師をしたことがありますが、英語の教科書に、ネパール人の子供の里親を募集している、という内容の単元があり、その話を何となく思い出しました。出稼ぎ外国人労働者にもさまざまな形態があるのでしょうが、こんな抜け穴があるのか、と。かつての日本の集団就職とは全然違うような。現状でも、受け入れ態勢も整っていない情況下で、外国人労働者という名目で移民法を制定しようとする現政権の狂瀾ぶりについてゆけません。最低でも、日本語教育を、こうした労働者たちに浸透させる努力があってこそ、受容できるものなのだろうと思います。そして、私たちが漢字の誤用やど忘れするように、日本語という言語が複雑で、独特なものなのだろうとも思いました(だからといって、英語とか、フランス語とかに交換してはいけないのですが)。 こんなところです。あと、NGT騒動についても述べておきますが、何を書いていいとか悪いというのは、(その人の人間性だとかそういうことではないのですが)その人の経験とか、内から滲み出るものにもよるので、何が良いとか悪いとか、一概には定義できないと思います。これは自分自身の問題だとも思うのでつけ加えるのですが、やはり言う人によって、使える言葉が変わってしまうのだと思うのです。よしりん先生がおっしゃられる言葉をそのまま私たちが使っても、同じ言葉ではなくなってしまうのだ、とでも言うのでしょうか。「人の目は前を見てあるくためにあるのだ」と学校の先生が言った言葉を、のび太がそのまま友人や家族に話しても、そこに「のび太」というフィルターが存在してしまうから、「先生」の経験から来る重みから離れてしまうのだ、ということなのかな、と。 NGTの事件は、ライジングの記事通りだったら、ひどい、畜生の事件だと思います。こんなことが許されるのなら没義道(もぎどう)だ、とも。しかし、それを世に広めてゆくのは信頼のおける人なのだ、ということなのかな、と。あるいは大衆の與論になって、流布してゆくことなのだろうと。 他人様のコメントによけいなお節介をしましたが、コメント欄に何でも書いてよい、というのではなくて、自身の足下を見て、自分に見合った言葉を、多少背伸びしたければそれはそれでよしとして、感情の交え方、論理性などを考慮して表現してゆくのがよいのだろうと思いました。 生放送はまだ未見です。これから見ます。 それと、関西設営のホームページのライジング一覧表、とても助かります。上記の記事でも活用しました。過去の、会員になる前のものも見てみたいものもありますが、ポイントがどうのこうのというのがわからないので、断念しています(コンビニで払ったりするのでしょうか?)
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ゴーマニズム宣言・第310回「制度のために眞子さまを駒として扱えない」
私の小室さん騒動についての感想は前回記したことに尽きていますが、ライジング258の「眞子さまを信じる」で良いのではないか、と思います。こういうことでも言いがかりをつける輩を「暇人」だと思います。これ以上書きたくないです。
トンデモ見聞録第112回「新宿レポート:なぜこんなにネパール人が多い」
私は以前、個別指導塾の講師をしたことがありますが、英語の教科書に、ネパール人の子供の里親を募集している、という内容の単元があり、その話を何となく思い出しました。出稼ぎ外国人労働者にもさまざまな形態があるのでしょうが、こんな抜け穴があるのか、と。かつての日本の集団就職とは全然違うような。現状でも、受け入れ態勢も整っていない情況下で、外国人労働者という名目で移民法を制定しようとする現政権の狂瀾ぶりについてゆけません。最低でも、日本語教育を、こうした労働者たちに浸透させる努力があってこそ、受容できるものなのだろうと思います。そして、私たちが漢字の誤用やど忘れするように、日本語という言語が複雑で、独特なものなのだろうとも思いました(だからといって、英語とか、フランス語とかに交換してはいけないのですが)。
こんなところです。あと、NGT騒動についても述べておきますが、何を書いていいとか悪いというのは、(その人の人間性だとかそういうことではないのですが)その人の経験とか、内から滲み出るものにもよるので、何が良いとか悪いとか、一概には定義できないと思います。これは自分自身の問題だとも思うのでつけ加えるのですが、やはり言う人によって、使える言葉が変わってしまうのだと思うのです。よしりん先生がおっしゃられる言葉をそのまま私たちが使っても、同じ言葉ではなくなってしまうのだ、とでも言うのでしょうか。「人の目は前を見てあるくためにあるのだ」と学校の先生が言った言葉を、のび太がそのまま友人や家族に話しても、そこに「のび太」というフィルターが存在してしまうから、「先生」の経験から来る重みから離れてしまうのだ、ということなのかな、と。
NGTの事件は、ライジングの記事通りだったら、ひどい、畜生の事件だと思います。こんなことが許されるのなら没義道(もぎどう)だ、とも。しかし、それを世に広めてゆくのは信頼のおける人なのだ、ということなのかな、と。あるいは大衆の與論になって、流布してゆくことなのだろうと。
他人様のコメントによけいなお節介をしましたが、コメント欄に何でも書いてよい、というのではなくて、自身の足下を見て、自分に見合った言葉を、多少背伸びしたければそれはそれでよしとして、感情の交え方、論理性などを考慮して表現してゆくのがよいのだろうと思いました。
生放送はまだ未見です。これから見ます。
それと、関西設営のホームページのライジング一覧表、とても助かります。上記の記事でも活用しました。過去の、会員になる前のものも見てみたいものもありますが、ポイントがどうのこうのというのがわからないので、断念しています(コンビニで払ったりするのでしょうか?)