配信ありがとうございます。 「情弱」という言葉はこれで初めて知りましたが、この程度でそう罵られてはかないません。情報を意識的に遮断するのも「情弱」になるのでしょうか。 私としては、だいぶ前によしりん先生が書かれた「『知識』と『情報』、それは違う」という言葉が頭に浮かびました。 「佃煮にする程」は私はまだ通じますけど、年下には難しそうです。 「読む・書く・話す」は大事なのに、これが旧弊な考え方として、今売れてる本の中では「莫迦」と定義されてるのかな……、と思ってしまいます(そんな本は読みません)。 手元に、上方落語を深く理解するために買った『大阪ことば事典』という古典的名著がありますが、この場合は全項目にアクセントが付いており重宝します。しかしやはり直に触れることが前提だと思います。「無下性(むげっしょう)」なんて「天王寺詣り」を聴かないと、もはや一生縁のない単語です。 あと大阪では今でも「むさんこ」や「おごろ」なんて言うのか、気になります。
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小林よしのりチャンネル
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配信ありがとうございます。
「情弱」という言葉はこれで初めて知りましたが、この程度でそう罵られてはかないません。情報を意識的に遮断するのも「情弱」になるのでしょうか。
私としては、だいぶ前によしりん先生が書かれた「『知識』と『情報』、それは違う」という言葉が頭に浮かびました。
「佃煮にする程」は私はまだ通じますけど、年下には難しそうです。
「読む・書く・話す」は大事なのに、これが旧弊な考え方として、今売れてる本の中では「莫迦」と定義されてるのかな……、と思ってしまいます(そんな本は読みません)。
手元に、上方落語を深く理解するために買った『大阪ことば事典』という古典的名著がありますが、この場合は全項目にアクセントが付いており重宝します。しかしやはり直に触れることが前提だと思います。「無下性(むげっしょう)」なんて「天王寺詣り」を聴かないと、もはや一生縁のない単語です。
あと大阪では今でも「むさんこ」や「おごろ」なんて言うのか、気になります。