希蝶 のコメント

今号の感想です。

泉美木蘭のトンデモ見聞録・第110回「書くのも大事、読むのも大事、会話も大事」

佃煮がどうこうという表現は初耳でした。初耳学に認定したいです…というのは冗談ですが、自分がよく言われた言葉に「覇気がない」というのがあります。引っ込み思案だった自分を心配して家族が言ってくれた言葉なのでしょう。ほかにも「吹けば飛ぶような将棋の駒」とも言われたことがあり(だから、私は『王将』という歌にあまりよいイメージはないです)、こういう言葉は一見冷たいようでいて、思いやりのある言葉なのかと思ってきました。
社会に出て、それが明らかに間違っているとわかりました。言う人にもよるし、言われる側によって、揶揄とも忠言ともどちらともとられるのだ、と。『ドラえもん』でのび太が先生から伝えられた「人の目は前を見据えてあるくためにあるものだ」という言葉に感動し、そのまま友人や親に伝えようとしても、クイズだとか、へりくつだとかしか言われないのをよんで、「何てこの人たちは不公平なんだろう」と思ったりしましたが、たとえで、人名を直接あげるのも、「Aさん、Bさんにしろ」と言われたりして、言葉は本当に難しいです(当人は悪口を言っている心づもりなど、まるでないのですが)。

でも、これらのことは、会話をしないとわからない、頭で言葉を知っているだけでは伝わらないのでしょう。そう思うと、言葉は口に出して、相手の反応を見ないと機能しないものなのだ、アイヌの血を引くとかいう人間が、アイヌ語を知識の上だけで学んでも、アイヌ語を習得したことにはならないのだ、という理由がわかるような気がします。

私の友人でも、仕事やらで忙しくて、電話じゃなくてメールで返信してくれと頼まれることもあり、私は本人と会話をしたいので、不本意なのですが、社会的にそういう場合も増えつつあり、仕方がないのだろうと判断しますが、なるべくなら、言葉は口で具体的に説明してゆきたいです。

動物を干物にする、というのは何となくわかります。昔は、蟻のお尻を潰したり、虫眼鏡をあてたりと、子供は残酷なことをしたものです。今は町中を蝶が飛んでいる風景など、まったく見られなくなりました。それどころが、虫を手で触るのを気持ち悪がったりする子ばかりで、いつからこの世の中は清潔・潔癖主義が横溢するようになったのか、と残念に思います。

No.64 64ヶ月前

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