翻って!?我らが師範方のこと。 結論から申し上げますと私は笹師範を支持致します。 (なので師範批判でも反旗を翻しているのでもないぞ-) 大事の前の小事、と言われてましても、 「万機公論に決すべし」というのがこの道場の基本理念なはずです。 (なので道場批判でもないぞ-) 「小事」であろうが、「万事」という理念に照らせば、 新潮45は廃刊すべきか否か、ということも「公論に決すべき」ことであるはずです。 師範方はバカではない(と思う)ので、 「意味はない、事実とは違う、実は思ってもいない」根拠を振りかざしてはおられないのかと思います。 ただ、「あやまったら死ぬ病気」をわずらってはおられるのでは?とは思います。(言ってしまった) でも病気ならば治るかもしれません。 「優秀だから何?」笹師範、そのとおりだと思います。 本当に廃刊にすべきだと思えば、 廃刊にしなかった場合の弊害や実例をあげるなどして、 反対者を説得してこそだと思います。 元々そんな根拠などなく、 実は廃刊にすべきだという主張自体も確たるものでもないのだと思っています。 お仕事柄依頼人の利益という大事のために「事実でも証拠がないので否認」させるといった戦術も取られることがあるのかもしれません。 自分が非を認めなくても裁判官が結論を出してくれて、「私は認めていない、不当判決だ」と言い続けられるのかもしれません。 私は、よしりん先生も「細部に宿るのかもしれない」とおっしゃっているとおり、 (なのでよしりん先生批判でもないぞ-) 重要視しているのは「細部」です。 現場の1職員なので大きなことはできないのですが、 細部にこそこだわって行動しています。 「罪を憎んで人を憎まず」と言いますが、 「人がダメなのでその人がやることや言うことはダメ」というのが私の持論です。 倉持師範には勉強させていただいたこともありました。 「大事を取った」日本の中でその利益を享受して生きているのではないかとも感じていますが、それでも。 「公論」として書けば、 首相にかかれば教育重視も経済政策も外交努力も靖国参拝もあんな感じです。 首相支持者からすれば「大事の前の小事」なのでしょう。 思い切って書いてしまいますが、あの首相の下での改憲は反対です。 それに少しでもくさびを打とうというのは賛成ですが。 憲法論議になっても、立場を異にする側からのまっとうな反論があれば、彼が適切な対処ができるのかは疑問です。 枝野代表が「政治論では」と言われたのを私は評価しますが、それはご本人が言われたからです。 他の師範方からフォローされましてもご本人への心証は変わりません。 ことあるごとに周りのフォローがいるのでしょうか? それが若さ故なのか、改まらない人間性の問題なのかは分かりませんが。 ついでに書いてしまえば「山尾案」も「議論できない」危うさを感じていて、 内容についての批判・議論については物足りなさを感じています。 他を利するからなのでしょうが。 井上達夫氏も「他との比較」で支持、と言われていたと思います。 私としては地域限定がないのは不満です。 「日本周辺」などと書いても限定できないというのがその理由ですが、 「周辺事態」がとれたから中東も対象となったのだから、一定の歯止めは効いていたことになり、「周辺」を復活させれば中東は除外できるのではないかと思います。 例えば「隣接国・地域」とすれば北朝鮮・中国・ロシア・台湾は対象で中東は外れるかと思いますが、それだと問題点は何か、といった議論をするのが道場の流儀なのではと思います。 新潮45廃刊問題に見られる倉持師範の態度と、それに沿った今後の憲法議論に正直不安を感じます。 もちろんそれが杞憂であることを望んでいます。 一方で、倉持師範を師範として継続していただくかはそれはそれで別の要素がある問題だとも思います。 よしりん先生のおっしゃったこと、メリット・デメリットの比較は当然一理あります。 代表師範の裁定は下ったのですから、それに対して異を唱えているわけではありません。 ただ、「使い捨て」のように表現されていることも先生独特の表現であることを加味しても切ない思いがしましたし、笹師範との関係改善や、それにつながる行動を取られるのかについても正直期待はできません。
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翻って!?我らが師範方のこと。
結論から申し上げますと私は笹師範を支持致します。
(なので師範批判でも反旗を翻しているのでもないぞ-)
大事の前の小事、と言われてましても、
「万機公論に決すべし」というのがこの道場の基本理念なはずです。
(なので道場批判でもないぞ-)
「小事」であろうが、「万事」という理念に照らせば、
新潮45は廃刊すべきか否か、ということも「公論に決すべき」ことであるはずです。
師範方はバカではない(と思う)ので、
「意味はない、事実とは違う、実は思ってもいない」根拠を振りかざしてはおられないのかと思います。
ただ、「あやまったら死ぬ病気」をわずらってはおられるのでは?とは思います。(言ってしまった)
でも病気ならば治るかもしれません。
「優秀だから何?」笹師範、そのとおりだと思います。
本当に廃刊にすべきだと思えば、
廃刊にしなかった場合の弊害や実例をあげるなどして、
反対者を説得してこそだと思います。
元々そんな根拠などなく、
実は廃刊にすべきだという主張自体も確たるものでもないのだと思っています。
お仕事柄依頼人の利益という大事のために「事実でも証拠がないので否認」させるといった戦術も取られることがあるのかもしれません。
自分が非を認めなくても裁判官が結論を出してくれて、「私は認めていない、不当判決だ」と言い続けられるのかもしれません。
私は、よしりん先生も「細部に宿るのかもしれない」とおっしゃっているとおり、
(なのでよしりん先生批判でもないぞ-)
重要視しているのは「細部」です。
現場の1職員なので大きなことはできないのですが、
細部にこそこだわって行動しています。
「罪を憎んで人を憎まず」と言いますが、
「人がダメなのでその人がやることや言うことはダメ」というのが私の持論です。
倉持師範には勉強させていただいたこともありました。
「大事を取った」日本の中でその利益を享受して生きているのではないかとも感じていますが、それでも。
「公論」として書けば、
首相にかかれば教育重視も経済政策も外交努力も靖国参拝もあんな感じです。
首相支持者からすれば「大事の前の小事」なのでしょう。
思い切って書いてしまいますが、あの首相の下での改憲は反対です。
それに少しでもくさびを打とうというのは賛成ですが。
憲法論議になっても、立場を異にする側からのまっとうな反論があれば、彼が適切な対処ができるのかは疑問です。
枝野代表が「政治論では」と言われたのを私は評価しますが、それはご本人が言われたからです。
他の師範方からフォローされましてもご本人への心証は変わりません。
ことあるごとに周りのフォローがいるのでしょうか?
それが若さ故なのか、改まらない人間性の問題なのかは分かりませんが。
ついでに書いてしまえば「山尾案」も「議論できない」危うさを感じていて、
内容についての批判・議論については物足りなさを感じています。
他を利するからなのでしょうが。
井上達夫氏も「他との比較」で支持、と言われていたと思います。
私としては地域限定がないのは不満です。
「日本周辺」などと書いても限定できないというのがその理由ですが、
「周辺事態」がとれたから中東も対象となったのだから、一定の歯止めは効いていたことになり、「周辺」を復活させれば中東は除外できるのではないかと思います。
例えば「隣接国・地域」とすれば北朝鮮・中国・ロシア・台湾は対象で中東は外れるかと思いますが、それだと問題点は何か、といった議論をするのが道場の流儀なのではと思います。
新潮45廃刊問題に見られる倉持師範の態度と、それに沿った今後の憲法議論に正直不安を感じます。
もちろんそれが杞憂であることを望んでいます。
一方で、倉持師範を師範として継続していただくかはそれはそれで別の要素がある問題だとも思います。
よしりん先生のおっしゃったこと、メリット・デメリットの比較は当然一理あります。
代表師範の裁定は下ったのですから、それに対して異を唱えているわけではありません。
ただ、「使い捨て」のように表現されていることも先生独特の表現であることを加味しても切ない思いがしましたし、笹師範との関係改善や、それにつながる行動を取られるのかについても正直期待はできません。