今週も配信お疲れ様です! ありがとうございます。 「ゴー宣」読みました。 小林先生に対して、デマでも何でもいいから否定的なことを、それっぽく賢しらぶって書いて、 それが商業誌に掲載されたり、商業ウェブに掲載されたりして、それでお金を稼ぐ・・・何と卑しく、虚しい行為なのでしょう。 批判があるなら、確固たる資料検証を公開した上で、万人に公平に判断して貰えるような批判文を出すべきです。 勿論、その際に、匿名希望のどこぞの名無しの権兵衛のネット書き込みよりも、 実名で商業誌や商業ウェブの同じ舞台に立って、公平に審判を仰ぐ覚悟を示した者が、まず、リングに上がることが出来るでしょう。 匿名希望のどこぞの名無しの権兵衛の書き込みでも、多くの人の耳目が集まれば、それが社会的に取り上げられることも、 今日のネットが普及した社会ではあり得ますが、 まずは、そこに価値の順列は厳然としてあるべきです。 匿名の有象無象よりも、実名を晒してプロの立場でリングに上がっている者が、まず戦いの相手になるのが定石です。 そして、生半可な覚悟でリングに上がってしまっている者は、容赦なく、なます斬りにされる、それがプロの商売の現場です。 それは、売り上げがどれだけあるか、という、商業市場主義の徹底的な競争上においてもそうですが、 表現・芸術を遍く世に問うという、表現者の覚悟においても、同様のことが言えると思います。 匿名の有象無象の書き込みの中にも、その文章の中に、現場を持つ生活者としての切迫したものが犇々と感じられるものがあることがあります。 その場合は、故あって匿名で訴えていると受け止めるべきでしょう。 また、実名で自らの被害を世に覚悟を持って訴えるケースもあります(例えば、伊藤詩織さんのように)。 それと、グラデーションの色合いで言えばだいぶ濃さが異なるケースでも、 海外であれば実名でMe too運動に参加している人もいる・・・という中で、 匿名で組織の影に隠れて、被害を訴える、これはダメだ!と糺されるべきでしょう。 また、左翼が「歴史修正主義」という言葉を金科玉条のものとして、自らは「左翼」ではない「リベラル」だと名乗って、 資料検証がきちっとなされたものなのか、そうでないのかを意図的にごっちゃにしたまま、 あれもこれも「歴史修正主義」だ!として騒いでいることは、多々あります。 「資料検証」のされた書籍を、自らの脳を使って、きちんと読むべきです。 自分が感情的に嫌いな識者、表現者、文筆家、漫画家だからといって、 その人物に対する反論本を、自分の脳を使った検証も全然無しに、「やっぱりそうかー!」と受け入れてしまうことを、 恥ずかしいと思うこと、それが常識です。 勿論、それがきちんとした検証を持った反論であると受け入れられるには、 多くの常識を持った庶民が読者として、それを読んで理解することがあると思います。 「東京裁判」は、当時(今もそうですが)の戦勝国による一方的な断罪で、裁判とすら呼ぶに値しません。 「南京」では、いわゆる大虐殺があったとされる時期の前後に、南京の人口が増えているという客観的な資料があり、 「大虐殺」があったという証拠とされる資料も、客観的な信憑に乏しい資料ばかりで、検証に耐え得らないという歴史学者の論評がなされています。 「ナチのガス室」については、資料も証人も「あった」という、それを示す一次資料が示されています。 我々の祖父の世代にあたる世代が従軍していた頃のことでも、 731部隊はあっただろうと、資料検証からも言えるでしょうし、上官から若年兵への体罰もあったという事は、示されています。 実際、自分の亡き祖父も、体験しております。<体罰 事実は事実として受け止めて、なお、それでも祖父母の世代は凄かった、と思いますし、 左翼的な自虐史観で祖父母との縦の歴史が断絶させられてしまうよりは、 負の事実もひっくるめた上で、それでも、祖父母の世代に感謝して、先の戦争を語ろう、 つまりは、亡くなってしまった祖父母の代も含めた、死者の民主主義で、 現在、未来を語ろう、それは、これから生まれてくる子孫も含んだ民主主義、ということになると思っております。 みみっちいイチャモンで、よしりん先生の足を引っ張るエネルギーがあるのでしたら、 正々堂々とした批判をぶつけて来て欲しいものです。 また、共闘出来る主張があるのならば、 そこは認めて、そこから先の有効なビジョンを、 広く読者に問うてみてはいかがでしょうか? 師範の倉持氏に関しても、笹さんや時浦さんのブログを読んで思うところはありましたが、 SPAのゴー宣2ndに関する寄稿文を読んで、 異論があるところもありましたが、 素晴らしい論評だと、一読者として感じました。 右と左の劣化、いち読者としても感じますが、 その劣化に歯止めをかけられるかどうかは、 表現者のメッセージの力もあると思いますが、 受け手の心構えもあるのかなと思います。 Q&Aもしゃべクリも、皆さま素晴らしかったです。 土田よしこ先生は、単行本こそ持っていませんでしたが、 インパクトが凄くて今も強烈な印象があります。
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小林よしのりチャンネル
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今週も配信お疲れ様です!
ありがとうございます。
「ゴー宣」読みました。
小林先生に対して、デマでも何でもいいから否定的なことを、それっぽく賢しらぶって書いて、
それが商業誌に掲載されたり、商業ウェブに掲載されたりして、それでお金を稼ぐ・・・何と卑しく、虚しい行為なのでしょう。
批判があるなら、確固たる資料検証を公開した上で、万人に公平に判断して貰えるような批判文を出すべきです。
勿論、その際に、匿名希望のどこぞの名無しの権兵衛のネット書き込みよりも、
実名で商業誌や商業ウェブの同じ舞台に立って、公平に審判を仰ぐ覚悟を示した者が、まず、リングに上がることが出来るでしょう。
匿名希望のどこぞの名無しの権兵衛の書き込みでも、多くの人の耳目が集まれば、それが社会的に取り上げられることも、
今日のネットが普及した社会ではあり得ますが、
まずは、そこに価値の順列は厳然としてあるべきです。
匿名の有象無象よりも、実名を晒してプロの立場でリングに上がっている者が、まず戦いの相手になるのが定石です。
そして、生半可な覚悟でリングに上がってしまっている者は、容赦なく、なます斬りにされる、それがプロの商売の現場です。
それは、売り上げがどれだけあるか、という、商業市場主義の徹底的な競争上においてもそうですが、
表現・芸術を遍く世に問うという、表現者の覚悟においても、同様のことが言えると思います。
匿名の有象無象の書き込みの中にも、その文章の中に、現場を持つ生活者としての切迫したものが犇々と感じられるものがあることがあります。
その場合は、故あって匿名で訴えていると受け止めるべきでしょう。
また、実名で自らの被害を世に覚悟を持って訴えるケースもあります(例えば、伊藤詩織さんのように)。
それと、グラデーションの色合いで言えばだいぶ濃さが異なるケースでも、
海外であれば実名でMe too運動に参加している人もいる・・・という中で、
匿名で組織の影に隠れて、被害を訴える、これはダメだ!と糺されるべきでしょう。
また、左翼が「歴史修正主義」という言葉を金科玉条のものとして、自らは「左翼」ではない「リベラル」だと名乗って、
資料検証がきちっとなされたものなのか、そうでないのかを意図的にごっちゃにしたまま、
あれもこれも「歴史修正主義」だ!として騒いでいることは、多々あります。
「資料検証」のされた書籍を、自らの脳を使って、きちんと読むべきです。
自分が感情的に嫌いな識者、表現者、文筆家、漫画家だからといって、
その人物に対する反論本を、自分の脳を使った検証も全然無しに、「やっぱりそうかー!」と受け入れてしまうことを、
恥ずかしいと思うこと、それが常識です。
勿論、それがきちんとした検証を持った反論であると受け入れられるには、
多くの常識を持った庶民が読者として、それを読んで理解することがあると思います。
「東京裁判」は、当時(今もそうですが)の戦勝国による一方的な断罪で、裁判とすら呼ぶに値しません。
「南京」では、いわゆる大虐殺があったとされる時期の前後に、南京の人口が増えているという客観的な資料があり、
「大虐殺」があったという証拠とされる資料も、客観的な信憑に乏しい資料ばかりで、検証に耐え得らないという歴史学者の論評がなされています。
「ナチのガス室」については、資料も証人も「あった」という、それを示す一次資料が示されています。
我々の祖父の世代にあたる世代が従軍していた頃のことでも、
731部隊はあっただろうと、資料検証からも言えるでしょうし、上官から若年兵への体罰もあったという事は、示されています。
実際、自分の亡き祖父も、体験しております。<体罰
事実は事実として受け止めて、なお、それでも祖父母の世代は凄かった、と思いますし、
左翼的な自虐史観で祖父母との縦の歴史が断絶させられてしまうよりは、
負の事実もひっくるめた上で、それでも、祖父母の世代に感謝して、先の戦争を語ろう、
つまりは、亡くなってしまった祖父母の代も含めた、死者の民主主義で、
現在、未来を語ろう、それは、これから生まれてくる子孫も含んだ民主主義、ということになると思っております。
みみっちいイチャモンで、よしりん先生の足を引っ張るエネルギーがあるのでしたら、
正々堂々とした批判をぶつけて来て欲しいものです。
また、共闘出来る主張があるのならば、
そこは認めて、そこから先の有効なビジョンを、
広く読者に問うてみてはいかがでしょうか?
師範の倉持氏に関しても、笹さんや時浦さんのブログを読んで思うところはありましたが、
SPAのゴー宣2ndに関する寄稿文を読んで、
異論があるところもありましたが、
素晴らしい論評だと、一読者として感じました。
右と左の劣化、いち読者としても感じますが、
その劣化に歯止めをかけられるかどうかは、
表現者のメッセージの力もあると思いますが、
受け手の心構えもあるのかなと思います。
Q&Aもしゃべクリも、皆さま素晴らしかったです。
土田よしこ先生は、単行本こそ持っていませんでしたが、
インパクトが凄くて今も強烈な印象があります。