ニセただし のコメント

もう少しだけ、失礼致します。


No.95と96を削除したのは自分です。ペコリと頭を下げる顔文字が書き込まれて居なかった為、2度、やり直しました。
失礼致しました。

レコ大、ネットでは西城秀樹のヤングマンの話題で盛り上がっていたようですが、岩崎宏美のマドンナ達のララバイの方が当時は騒がれた記憶があります。大ヒットしたのに(ヤングマンもですが)カバー曲だからダメなのかと。
西城秀樹は、亡くなられたので、フューチャーされていたんじゃないかと思いました。

AKBの曲が、300万枚売れていたのにはビックリしました。
Σ( ̄□ ̄)!!
夕べ初めて聴き、何て曲だ!と思いました…。

NHKで、9月に九州大学で焼身自殺した人をピックアップしている番組を見ました。彼は、小学校時代は学業もスポーツも出来て、友達思いの凄く優秀な子供だったそうです。父親の会社が倒産し、中学卒業後は自衛隊の学校へ進み働きながら勉強を頑張ったそうです。そして二十三歳で念願の九州大学へ入学し、憲法学で大学院まで進んだそうですね。自衛隊時代のイジメ体験などから、法の下の平等と言う言葉に強く惹かれたとか。

90年代、国は、外国との競争力を高めようと大学院生を倍増したそうですね。それにより、博士や教授になる門は狭められたそうです。
そして2000年になり、大学がコスト削減の為、准教授と言う枠を大幅に増やしたそうです。准教授は、教授と比べて給料が格段に下がるみたいですね。三つの大学を掛け持ちしても月収15万円とか言っていました。
それで就職浪人や貧困に陥る人が続出するみたいです。

事件を起こした彼は、准教授や塾の講師のバイトを四つ掛け持ちしながら博士号をとろうとしていたそうですが、論文を書けずに8年前に退学。生活費もそうですが、六百万の奨学金返済に苦労していたとの事でした。

准教授は1年毎の契約だそうで、一つ切られた彼は、生活に窮していたみたいです。九大の大学院生が研究に使う校舎は、院生長屋と言われる古い建物なのですが、退学後も彼は、無断で使用して研究していたみたいですね。若い学生に教える情熱は凄かったみたいですが、生活に窮しバイトに追われるようになってからは、講義の準備の資料作成すら出来ないと嘆いていたそうです。その資料の作成や研究の為、無断で使用し続けていた院生長屋は、老朽化の為に移転する事が決まっていたそうです。その研究室で最期は焼身自殺。46歳だから、私より3つ下です。

大学の制度と進路や就職の問題、貧困の問題などを考えさせられました。

No.101 71ヶ月前

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