杉田水脈の脅迫問題について、思っていることがあるので、記します。 実は私もかつて掲示板道場で、伏見宮系統の正統性ということについて投稿したことがあり、それで、場を乱したとか、荒らしたと言われて、散々な目に遭いました。 誤解のないように言っておくと、(前にも何度も記していますが)、『天皇論』に掲載された系図を見て、男系派は「観応の擾乱」・「正平一統」という事件をついてくるのではないか、と推測したので、その対策をした方が良い、と手前勝手なことを考え、自分の意見を記すと同時に、先生方の意見を聞いても見たかったのですが、どうもそれが自分が男系派で、伏見宮家の一般男子から捜す派と見られてしまったみたいで、(今はこの場にいないようなのですが)とあるかたから荒らし扱いされた、という話です。こう記すと、自分の立場をよく見せようとしているととらえられるかも知れませんが、自分の心づもりとしては真実を述べています。 どうも、ちまたでも、インターネットでもこの問題は議論されていないようなので、自分の取り越し苦労、見当外れ、お節介だったと、場を乱してしまったことを反省しています。 でも発言というのは、本人がそのつもりがなくても、相手に違う意味にとられてしまったら、それは相手側の方が真実になってしまうものなのだろうと想像します(自分としても、それはかなり不服なのですが)。 そのことがあったので、しばらくゴー宣は『大東亜論』を読むだけにして、インターネットの方は「道場」が一度終わるという時までまったく見ないで過ごしました。インターネット恐怖症にもなっていたし、どこかの百科事典もどきを見る位の関わりしか持たぬようにしていました。 意見を述べるとか、言葉を記すとかいうことは、その位重いものなのだ、ということを水脈議員も理解して欲しいと願います。自分はこのことがあってから、どんな阿呆な意見を記しても、未熟な感想を書いても、自分の意見なのだから基本的に消さないようにしよう、と思っています。 この場が何千人もの人が見ているということも覚悟して来ました。それが嫌だったので、手紙にしていたのですが、お忙しい先生の手間を煩わせるのは良くないことですし、ここでも荒らしや目立ち行為が起こっているのだと知ったら、黙っていられなくなり、自分だけ表に出ないでいることは卑怯な気がしました(その何とかさんだって、一度は先生に認められて門弟になれた程の人なのでしょう。なのに、意見が食い違ってしまったことで、何をそんなに怨みに感じてしまうのでしょうか。私には贅沢に思えてなりません)。 と言ってもペンネームみたいなものを使っていますが、自分が何者であるのかは最初に名乗ったし(というか、ハンドルネームと記せば自動的にハンドルネームになるものだと勘違いしていました)、当時のことを知っている人はわかると思います。 政治家の発言は、それが国政の土台となる場合もあるのだから、「綸言汗の如し」で、影響力の大きさを考えた上で発言して欲しいと思います。そのつもりだったと言っても、終始無言だったという木蘭さんの記事をよむ限りでは、「そんなつもりじゃなかった」といういいわけしか聞こえてきません。反応する相手がどんなはりてを出してくるのか、可能な限り想像してアンテナを張り、それでも見過ごしてしまったところは、さらに考えを巡らすか、あるいは自身の非を認めるか、そのどちらかをしないといけないでしょう。酒を飲んで自身のしたことに恐れおののいて逃げ出してしまったタレントのようではいけないと思います。 以上、言はずもがなのことを記しました。長々と下らないことを述べてすみませんでした。
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杉田水脈の脅迫問題について、思っていることがあるので、記します。
実は私もかつて掲示板道場で、伏見宮系統の正統性ということについて投稿したことがあり、それで、場を乱したとか、荒らしたと言われて、散々な目に遭いました。
誤解のないように言っておくと、(前にも何度も記していますが)、『天皇論』に掲載された系図を見て、男系派は「観応の擾乱」・「正平一統」という事件をついてくるのではないか、と推測したので、その対策をした方が良い、と手前勝手なことを考え、自分の意見を記すと同時に、先生方の意見を聞いても見たかったのですが、どうもそれが自分が男系派で、伏見宮家の一般男子から捜す派と見られてしまったみたいで、(今はこの場にいないようなのですが)とあるかたから荒らし扱いされた、という話です。こう記すと、自分の立場をよく見せようとしているととらえられるかも知れませんが、自分の心づもりとしては真実を述べています。
どうも、ちまたでも、インターネットでもこの問題は議論されていないようなので、自分の取り越し苦労、見当外れ、お節介だったと、場を乱してしまったことを反省しています。
でも発言というのは、本人がそのつもりがなくても、相手に違う意味にとられてしまったら、それは相手側の方が真実になってしまうものなのだろうと想像します(自分としても、それはかなり不服なのですが)。
そのことがあったので、しばらくゴー宣は『大東亜論』を読むだけにして、インターネットの方は「道場」が一度終わるという時までまったく見ないで過ごしました。インターネット恐怖症にもなっていたし、どこかの百科事典もどきを見る位の関わりしか持たぬようにしていました。
意見を述べるとか、言葉を記すとかいうことは、その位重いものなのだ、ということを水脈議員も理解して欲しいと願います。自分はこのことがあってから、どんな阿呆な意見を記しても、未熟な感想を書いても、自分の意見なのだから基本的に消さないようにしよう、と思っています。
この場が何千人もの人が見ているということも覚悟して来ました。それが嫌だったので、手紙にしていたのですが、お忙しい先生の手間を煩わせるのは良くないことですし、ここでも荒らしや目立ち行為が起こっているのだと知ったら、黙っていられなくなり、自分だけ表に出ないでいることは卑怯な気がしました(その何とかさんだって、一度は先生に認められて門弟になれた程の人なのでしょう。なのに、意見が食い違ってしまったことで、何をそんなに怨みに感じてしまうのでしょうか。私には贅沢に思えてなりません)。
と言ってもペンネームみたいなものを使っていますが、自分が何者であるのかは最初に名乗ったし(というか、ハンドルネームと記せば自動的にハンドルネームになるものだと勘違いしていました)、当時のことを知っている人はわかると思います。
政治家の発言は、それが国政の土台となる場合もあるのだから、「綸言汗の如し」で、影響力の大きさを考えた上で発言して欲しいと思います。そのつもりだったと言っても、終始無言だったという木蘭さんの記事をよむ限りでは、「そんなつもりじゃなかった」といういいわけしか聞こえてきません。反応する相手がどんなはりてを出してくるのか、可能な限り想像してアンテナを張り、それでも見過ごしてしまったところは、さらに考えを巡らすか、あるいは自身の非を認めるか、そのどちらかをしないといけないでしょう。酒を飲んで自身のしたことに恐れおののいて逃げ出してしまったタレントのようではいけないと思います。
以上、言はずもがなのことを記しました。長々と下らないことを述べてすみませんでした。