希蝶 のコメント

話の流れを中断するみたいで申しわけないのですが、今号の感想です。

ゴーマニズム宣言・第292回「体操競技には体罰が必要ではないか?」

といっても、感想らしきものは、殆どに>>60に記していますが、

>>83からの丑三 やギさんの文章を少しよんだ限りでは、私のこころの中にも避難訓練や「実は…」の時のトラウマが残っていて、それがこうして形になっているのかな、といえそうです(誤読でしたら、すみません)。
しかし、自分の場合は避難訓練のように真剣に行わなければならぬ時に、(本人にはその気がないとしても)ふざけているとか、不真面目、あるいは落ち着きがないとみられたという背景があり、また後者の場合は宿題を忘れたということもあるので、仕方がなかった部分はあると思います。しかし、どちらの場合もかなり先生は感情的な感じでした。怒るという情熱は感情なくして生まれ得ず、理性的に「注意」することはできても、「怒る」ことは不可能だろうと私は思います。アントニオ猪木のは、「儀式」であって、「指導」とか「忿怒」とは別物だろうと思います。

ちょっと有名な古代春秋・戦国時代の故事をあげますが、呉王闔閭(こうりょ)は孫子に宮中の婦人に軍の動かし方を見せて欲しいと頼まれ、宮中の官女で模擬戦闘をさせた、というエピソードがあります。この時女性達は面白がって真面目に戦闘をしようとはせず、ふぜけてたわむれ合っていたため、孫子は「軍が機能しないのは指揮官の責任である。指揮官役の女を斬れ」と命じ、闔閭は「いくらなんでもそれはやりすぎだ」と抗弁しましたが、孫子は戦争とはそのような不真面目な態度ではできないと主張し、ついに(闔閭の愛妾である)二人の女性を殺してしまいました。以後、女たちは真面目に模擬戦闘訓練を行ったのだそうです。闔閭は不服そうでしたが、孫子を呉の将軍に任命したそうです。

世の中にはある種の超論理がないといけない場合もあるのだ、とこの逸話は教えてくれているのかもしれないです(やりすぎだと思うけれども。秦の法家の商鞅でさえ、皇太子が罪を犯した時は代人を立てたというし。ここには男尊女卑思想もあるのかもしれない)。体操の体罰問題から、かなり離れた話になりましたが。

でも、やはりケースバイケースなんでしょう。ニュースで少年野球で体罰のビデオが流れて、問題になったというのも見ましたが、勝ち負けではなく、競技を楽しむ場合、恐怖で人を縛るのは良くないと思います。
体操の場合はメダルや成績のこともあるし、事故のことも考慮しないといけないのでしょう。

No.90 76ヶ月前

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