M.O のコメント

「体罰は一種の暴力です。感情が伴います」というのが、常に大前提となるのかどうか、考え直してみなければならないのではないですか?
よしりん先生が「許される体罰の好例」として挙げておられる「アントニオ猪木のビンタ」は、もちろん感情など伴っていないでしょう。
座禅の警策だって、僧侶が感情的になっているわけではありません。
個人的には、日野皓正だって、暴走する中学生ドラマーを一刻も早く止めないといけない、という考えで、口で言っても無駄だから手を出さざるを得なかったのだ、と解釈しています。
いくら何でも、ステージ上で簡単にブチ切れるような人ではないです。

つまり、感情を排して、理性でコントロールした上で「手を出す」指導者というものも、この世には存在するだろう、ということです。
「感情的になったから、手が出るのだ」という前提があって、さらに「でも体操競技は選手の命が関わるから、体罰もやむを得ない」と判断されているのであれば、それはちょっと違うのでは、と感じます。
まるで、体罰を行う指導者は感情を抑制できず、選手を殺傷しかねないぐらいに加減をすることも知らない、と言わんばかりで、十把一絡げにそのように論じるのはあまりにも極端、かつ理性的な指導者に失礼というものではないでしょうか?

No.84 74ヶ月前

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