希蝶 のコメント

今号も配信、有難うございます。生放送は、タイムシフトであとで見ます。

斎藤美奈子さんの記事をよみましたが、恐らく「ハルチカ」とか「ユーフォニアム」あたりの影響もあるのだろうと察します。しかし、医療はミスがあったら患者の命に即つながりますが、音楽や演奏で他者の命を奪うといったら、少年ジェットかSF小説の世界になってしまいます。比較すべき事例ではないのでしょう。失礼を承知で申しますが、男の人が変な気分になって、手術を失敗するなんて話は聞いたことがないです(そもそもそんな人は医師にはなれない)。

確かに女の人は(これも失礼だけれども)月に一度は血を見るのでしょうが、それゆえに、命を預かる重大性も理解できるのではないか、自身の突発的な健康状態で、医療ミスが生じることは極力避けなければならないということも判断できるのではないか、と思います。

話題をかえますが、私が体罰を受けた例として記憶にあるのは、小学校の避難訓練の際、「さあ、はやく机の下に隠れなきゃ」とか騷いで、先生にピンタをくらった、というのがあります。それは学研の学習雑誌に載っていることを何となく口にしただけで、みんなの役に立つと思ったからなのですが、先生からすれば緊急事に騷ぐことの方が問題だ、と判断したのでしょう。こういうのも教育だ、と今にして思います。頭でっかちの知識だけでは、人の命は救えないのだろうということでしょう。

小学校時代は、高学年の時の先生が体罰派で、宿題を忘れた時に「実は…」と言った時に「実は、じゃない、ばかやろう!」と言われて同じくピンタをくらっています(以前に書いた、四線譜の時の先生です)。何か偉そうなことを自分が言っていると思われたらしく、私は当時、小学館の雑誌にのっていた「てんとう虫の歌」のセリフにあった言葉をそのまま言っただけなのですが、こういうところでも、他者との信頼関係は問われるのだろうと思います。

何かまとまりのない話になりましたが、私はまづは言葉で理解し合える状態があれば理想的だろうと思います。しかし、世の中には言葉を越えた、超論理のようなものがあって、それは言語化するのは不可能で、体で覚えさせるしかないのだろう、たとえそれが理不尽なものであっても、と理解しています。

言葉の暴力と言えば、親の言うことをきかなかった時に、「お前は橋の下から拾ってきた子供だ」とか言われた人はいないのでしょうか?私は暴力は嫌いですが、良かれ悪しかれ、しつけとしてこういうのが容認されてきた時代もあったのだ、という記憶は残しておいた方がよいと思います。

少しとりとめのない話を記しました。ライジング感想などはまた改めて。

No.60 75ヶ月前

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