今週も配信ありがとうございます! お疲れ様です。 「ゴー宣」読みました。 麻原(松本智津夫)の子供に関しては、子沢山だったという話だけは何となく聞いていた気がしましたが、 すっかり忘れていました。 三女のことは何となく覚えていましたが、それ以外の子供についてはよく知りませんでした。 当時、オウムと対峙していたジャーナリストや弁護士も、立場的に左派的な立場の人はいたことは承知していましたが、 滝本弁護士がここまでヘンになっているとは思いませんでした。 滝本弁護士と言えば、ゴー宣で、弄られたり、批判されたりということがありましたが、 弄られている時は、愛ありきの感じだったと思います。 ゴー宣で描かれる時の滝本弁護士も、滝本氏のキャラを的確に見出して、 弄りながらも魅力的に描かれていたので、印象深かったです。 しかし、ヘンなイデオロギーが滝本弁護士を狂わせている、ということが、 今回のライジングのゴー宣を読んで、よく分かりました。 滝本弁護士は61歳、小林先生よりも若いです。 しかし、脳は老いてしまったのでしょうか? イデオロギーと知識以外に、弁護士になってから得た経験と智慧で、 自分自身を客観的に突き放して見れるものはないのでしょうか? 麻原(松本智津夫)は、生涯を通して「俗物」だったんだろうと思います。 小林先生の見立てはズバリ当たっていると思います。 表現者として身を立て、表現者として生きている小林先生だからこその見立てだと思いますし、 実際にオウムに命を狙われた小林先生だからこその見立てだと思います。 私は、オウム事件の時は20代半ば~後半でしたが、 地方在住でしたので、事件のことはニュースを通して知ることが多かったです。 しかし、当時勤めていた会社を辞める前くらいに、 その会社にいた上司で、当時東京の支社に勤めていた人が、 サリンが撒かれた地下鉄とたまたま違う時間に乗った為に、難を逃れて助かったという話を聞きました。 人はいつ、災害や事件に巻き込まれるか分からないものです。 いつ起こるか分からない、また、地形上、いつ起こってもおかしくない災害に巻き込まれる可能性は、 日本に住んでいる以上、どこであるか分からないものですが、 事件に関しても、この御時世、いつ巻き込まれるか分かりません。 それは、オウムの事件以前からあったことかなと思いますし、 オウムのサリンテロでそれが浮き彫りになったとも言えるかもしれません。 しかし、それも災害と同じように、時が経てば忘れられていってしまうのが、日本人のダメなところだと改めて思います。 広島の「過ちは繰返しませぬから」という碑文と同じだと思います。 一方で、東北地方もそうですが、他の地域でも、過去の震災を警告するような碑文もあちこちにあった訳です。 災害と事件とは明確に違う訳ですが、 後世に伝えていかなければならないことはどちらにもあります。 良いところは伝承し、悪い因習は変えていくことが肝要だと思います。 実際に命を狙われたことで痛感した小林先生の懸念は、 麻原(松本智津夫)が神格化されてしまうか、否か・・・そこから、オウムを受け継ぐ団体が活性化してしまうのか、否かということかなと、いち読者として思いました。 一度生まれてしまった宗教・思想が無くなってしまうことはあり得ません。 それを考えた時に、麻原の神格化というものが現実にどれだけなされるか、なされているか、ということを、 冷静に分析した記事だと思いました。 また、滝本弁護士のような過剰な態度をとってしまうことが、 かえって麻原の無用な神格化を作り出してしまうことだと思いました。 「トンデモ見聞録」読みました。 私自身、49歳ですが、既に老眼です(汗)。 細かい文字は読みづらいですし、日常で老眼鏡は欠かせません。 しかし、1969年の文庫と、2009年の文庫の比較画像を見て、 「ええっ!?」と思いました。 私よりも先輩の、50代序盤の知人の中には、 「電子書籍は意外と年配の人にも読みやすいんだよ。変えてみるのも一つの手だよ」と言う人もいて、 でも、ネットを頻繁に利用している割には、妙なところでアナログ(スマホは持ちたくない、アプリは使わない、など)な私は、 「いやだ!絶対に電子書籍なんか読むものか!」と頑迷固陋に抵抗し続けて来て今に至るのですが、 紙の書籍にまで、こういう波が来ていることは改めて認識せざるを得ませんでした。 高齢者になれば、老眼になって物理的に本が読みづらくなってしまうのは致し方ないとは思いますが、 本が読めない若者に配慮するというのは、首を傾げざるを得ません。 年を取れば、それだけ目も弱ってくるのは道理だと思いますが、 日頃からの慣れも関係してくると思います。 ずっと目を甘やかしてばかりだったら、 老眼になるのも早くなってしまうのでは? 更に今では、スマホ老眼なんてものもあると耳にします。 そして「これからのトレンドは思考停止です」の言葉に、ヘナヘナと崩れ落ちそうな気持ちになりました。 私などは、方向音痴が酷いので、スマホのグーグル検索なんかあれば、心底便利だろうなとは思います。 でも、意地でも使いません。 これは、私が昭和脳だからなのか・・・スマホを使わなくていい環境にあるからなのか・・・ でも、地図をなんとか見て、人に聞いて辿り着く、ということをしたい、というのがあります。 あとは、スマホを手に入れてしまったら、とことん堕落するだろうなという危惧があります。 職場の命令や指示などで、スマホにせざるを得なくなった時は、いよいよ諦める時かなとは思いますが、 その時も「一番後ろからついていくしかない」の気持ちで堕落に楔を打ちたいと思ってしまいます。 私心に任せたら、アレも便利、コレも便利、と、どんどんアプリでも何でも使ってしまうと思うからです。 「読めない」「考えられない」の人にどんどん合わせていくことは、即ち「ディストピア」だと思います。 Q&Aでも小林先生に回答戴きましたが、 「傷つく」人に合わせて、「傷つく人がないように」と、どんどん突き進めて行った先には、 表現がガチガチに狭まり、その枠でしか人が考えられない、でも、それに人々は気付かない、という世の中になっていってしまうのでしょう。 そうすると、表現が狭まる前を知っていた世代が、うっかり言ったことが、社会全体で糾弾されるような恐ろしい世になってしまうかもしれません。 他の人のQ&Aで印象深かった回答は「うんちくと教養は違う」ということですかね。 「しゃべらせてクリ!」は、私以外の回答は皆様素晴らしかったです。 セリフが多くなり過ぎないことが肝要かな、と、久々に投稿してみて思いました。 >>17 がんTさん 分かりますよ。でも、話題が横道に逸れちゃいけないかなと思うので、 あまり言及しないようにします。
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今週も配信ありがとうございます!
お疲れ様です。
「ゴー宣」読みました。
麻原(松本智津夫)の子供に関しては、子沢山だったという話だけは何となく聞いていた気がしましたが、
すっかり忘れていました。
三女のことは何となく覚えていましたが、それ以外の子供についてはよく知りませんでした。
当時、オウムと対峙していたジャーナリストや弁護士も、立場的に左派的な立場の人はいたことは承知していましたが、
滝本弁護士がここまでヘンになっているとは思いませんでした。
滝本弁護士と言えば、ゴー宣で、弄られたり、批判されたりということがありましたが、
弄られている時は、愛ありきの感じだったと思います。
ゴー宣で描かれる時の滝本弁護士も、滝本氏のキャラを的確に見出して、
弄りながらも魅力的に描かれていたので、印象深かったです。
しかし、ヘンなイデオロギーが滝本弁護士を狂わせている、ということが、
今回のライジングのゴー宣を読んで、よく分かりました。
滝本弁護士は61歳、小林先生よりも若いです。
しかし、脳は老いてしまったのでしょうか?
イデオロギーと知識以外に、弁護士になってから得た経験と智慧で、
自分自身を客観的に突き放して見れるものはないのでしょうか?
麻原(松本智津夫)は、生涯を通して「俗物」だったんだろうと思います。
小林先生の見立てはズバリ当たっていると思います。
表現者として身を立て、表現者として生きている小林先生だからこその見立てだと思いますし、
実際にオウムに命を狙われた小林先生だからこその見立てだと思います。
私は、オウム事件の時は20代半ば~後半でしたが、
地方在住でしたので、事件のことはニュースを通して知ることが多かったです。
しかし、当時勤めていた会社を辞める前くらいに、
その会社にいた上司で、当時東京の支社に勤めていた人が、
サリンが撒かれた地下鉄とたまたま違う時間に乗った為に、難を逃れて助かったという話を聞きました。
人はいつ、災害や事件に巻き込まれるか分からないものです。
いつ起こるか分からない、また、地形上、いつ起こってもおかしくない災害に巻き込まれる可能性は、
日本に住んでいる以上、どこであるか分からないものですが、
事件に関しても、この御時世、いつ巻き込まれるか分かりません。
それは、オウムの事件以前からあったことかなと思いますし、
オウムのサリンテロでそれが浮き彫りになったとも言えるかもしれません。
しかし、それも災害と同じように、時が経てば忘れられていってしまうのが、日本人のダメなところだと改めて思います。
広島の「過ちは繰返しませぬから」という碑文と同じだと思います。
一方で、東北地方もそうですが、他の地域でも、過去の震災を警告するような碑文もあちこちにあった訳です。
災害と事件とは明確に違う訳ですが、
後世に伝えていかなければならないことはどちらにもあります。
良いところは伝承し、悪い因習は変えていくことが肝要だと思います。
実際に命を狙われたことで痛感した小林先生の懸念は、
麻原(松本智津夫)が神格化されてしまうか、否か・・・そこから、オウムを受け継ぐ団体が活性化してしまうのか、否かということかなと、いち読者として思いました。
一度生まれてしまった宗教・思想が無くなってしまうことはあり得ません。
それを考えた時に、麻原の神格化というものが現実にどれだけなされるか、なされているか、ということを、
冷静に分析した記事だと思いました。
また、滝本弁護士のような過剰な態度をとってしまうことが、
かえって麻原の無用な神格化を作り出してしまうことだと思いました。
「トンデモ見聞録」読みました。
私自身、49歳ですが、既に老眼です(汗)。
細かい文字は読みづらいですし、日常で老眼鏡は欠かせません。
しかし、1969年の文庫と、2009年の文庫の比較画像を見て、
「ええっ!?」と思いました。
私よりも先輩の、50代序盤の知人の中には、
「電子書籍は意外と年配の人にも読みやすいんだよ。変えてみるのも一つの手だよ」と言う人もいて、
でも、ネットを頻繁に利用している割には、妙なところでアナログ(スマホは持ちたくない、アプリは使わない、など)な私は、
「いやだ!絶対に電子書籍なんか読むものか!」と頑迷固陋に抵抗し続けて来て今に至るのですが、
紙の書籍にまで、こういう波が来ていることは改めて認識せざるを得ませんでした。
高齢者になれば、老眼になって物理的に本が読みづらくなってしまうのは致し方ないとは思いますが、
本が読めない若者に配慮するというのは、首を傾げざるを得ません。
年を取れば、それだけ目も弱ってくるのは道理だと思いますが、
日頃からの慣れも関係してくると思います。
ずっと目を甘やかしてばかりだったら、
老眼になるのも早くなってしまうのでは?
更に今では、スマホ老眼なんてものもあると耳にします。
そして「これからのトレンドは思考停止です」の言葉に、ヘナヘナと崩れ落ちそうな気持ちになりました。
私などは、方向音痴が酷いので、スマホのグーグル検索なんかあれば、心底便利だろうなとは思います。
でも、意地でも使いません。
これは、私が昭和脳だからなのか・・・スマホを使わなくていい環境にあるからなのか・・・
でも、地図をなんとか見て、人に聞いて辿り着く、ということをしたい、というのがあります。
あとは、スマホを手に入れてしまったら、とことん堕落するだろうなという危惧があります。
職場の命令や指示などで、スマホにせざるを得なくなった時は、いよいよ諦める時かなとは思いますが、
その時も「一番後ろからついていくしかない」の気持ちで堕落に楔を打ちたいと思ってしまいます。
私心に任せたら、アレも便利、コレも便利、と、どんどんアプリでも何でも使ってしまうと思うからです。
「読めない」「考えられない」の人にどんどん合わせていくことは、即ち「ディストピア」だと思います。
Q&Aでも小林先生に回答戴きましたが、
「傷つく」人に合わせて、「傷つく人がないように」と、どんどん突き進めて行った先には、
表現がガチガチに狭まり、その枠でしか人が考えられない、でも、それに人々は気付かない、という世の中になっていってしまうのでしょう。
そうすると、表現が狭まる前を知っていた世代が、うっかり言ったことが、社会全体で糾弾されるような恐ろしい世になってしまうかもしれません。
他の人のQ&Aで印象深かった回答は「うんちくと教養は違う」ということですかね。
「しゃべらせてクリ!」は、私以外の回答は皆様素晴らしかったです。
セリフが多くなり過ぎないことが肝要かな、と、久々に投稿してみて思いました。
>>17
がんTさん
分かりますよ。でも、話題が横道に逸れちゃいけないかなと思うので、
あまり言及しないようにします。