感情を失くすことで、魂を亡くした人類は、「骨の髄まで社会的な存在」に変化する。表面上は今までと同様に生活していきますが、その社会にはコンピュータ・プログラムのような因果がはっきりとしたやりとりしか存在しません。言うならば、葬式という事象がインプットされたから「泣く」、葬式が終わったら、一切の哀しみを引きずらずに日常を過ごし、また一周忌になれば、故人を偲んで「泣く」。哀しみのあまり鬱になったり、仕事を辞めたり、それが人生の転機になったりはしない。想像するに、感情のない世界とはそういうものではないでしょうか。どこかの佐川サンみたいな「官僚制を体現したロボット」が正しい人間で、いちいちシステムの瑕疵を疑ったり、良心の呵責を覚えて自殺してしまう「人間」は、そうした社会ではそもそも「あり得ない」のです。まあ、そんなこと、もう大方の人間は忘れてしまいましたが。 選好の源には不確定かつ不可解な感情がある。選好を廃する社会は感情を廃する社会に行き着く。そうして、最後には「わたし」を消滅させる。曖昧なIを消滅させれば、哀は消えて愛もなくなる、なんてしょうもない洒落が現実になる日も近いのかもしれませんね。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:19522841)
感情を失くすことで、魂を亡くした人類は、「骨の髄まで社会的な存在」に変化する。表面上は今までと同様に生活していきますが、その社会にはコンピュータ・プログラムのような因果がはっきりとしたやりとりしか存在しません。言うならば、葬式という事象がインプットされたから「泣く」、葬式が終わったら、一切の哀しみを引きずらずに日常を過ごし、また一周忌になれば、故人を偲んで「泣く」。哀しみのあまり鬱になったり、仕事を辞めたり、それが人生の転機になったりはしない。想像するに、感情のない世界とはそういうものではないでしょうか。どこかの佐川サンみたいな「官僚制を体現したロボット」が正しい人間で、いちいちシステムの瑕疵を疑ったり、良心の呵責を覚えて自殺してしまう「人間」は、そうした社会ではそもそも「あり得ない」のです。まあ、そんなこと、もう大方の人間は忘れてしまいましたが。
選好の源には不確定かつ不可解な感情がある。選好を廃する社会は感情を廃する社会に行き着く。そうして、最後には「わたし」を消滅させる。曖昧なIを消滅させれば、哀は消えて愛もなくなる、なんてしょうもない洒落が現実になる日も近いのかもしれませんね。