サッカーについて、あと一回だけ書かせてください。 まず、私は西野監督や選手達をこれ以上批判するつもりはありません。 試合中に実際にブーイングを受けたこと、そして西野監督が会見でコメントしたことで、「禊は済んだ」と思っています。 今はもう、次戦に向けて気持ちを切り替えて準備していってほしいと思います。 また、現場を経験した人ほど今回の判断を肯定的に見ているのも、そうだろうと思います。 大それた仮定ですが、私が代表監督なら、西野監督を模範とします。 決断力、意志疎通能力、そして批判を真摯に受け止める姿勢まで含めた上でです。 指導者は、ときとして悪魔に魂を売り渡すような決断を迫られることがあるのは承知しています。 しかし、だからこそ、ファンは良識のバランサーとして機能しなければならないと考えます。 現場は結果を得ることに意識が偏りがちです。 試合の中では、フェアかアンフェアか、きわどいシーンがたくさんあります。 当事者だけでバランスを保つのは無理だと思います。 「ルールの範囲内ならOK」 「審判に気付かれなければOK」 「罰則と引き換えに失点を防げればOK」 当事者だけでは、そうした行為が今よりあからさまに行われかねない。 それではサッカーの魅力を保つことはできません。 その歯止め役となるのが、「面白い試合を観たい」という素朴な想いを持ったファンの視線です。 だから、戦いを放棄したつまらないプレーにはブーイングすべき、と主張しました。 「次ステージに進むのもファンのため」という理屈も承知しています。 ですがやはりスポーツは目の前の一試合が基本単位だと思います。 観戦料も試合単位で設定されているし、詳しくないですがおそらくペイパービューもそうでしょう。 先を見据えてばかりいてはキリが無い。 毎試合観れる訳でもない。 「目の前のこの試合で戦ってくれ」という気持ちがファンとしては大事だと思います。 だから、もし現場が戦略上その気持ちに反する判断をするなら、今回のように批判を受け入れる覚悟でやってくれ、と思います。 「現場の感覚」は、1つの目的に焦点を当てたアンバランスなものです。 今回のような問題では、現場は現場の、ファンはファンの立場で見ていくべきだと思います。 ですが今のご時勢、結果を優先する「現場の感覚」は水戸黄門の印籠のように強い権威を持っています。 その流れの中で、ファンが現場の感覚に絡め取られていっているように感じました。 大部分の肯定派も持っているだろうモヤモヤ感が、置き去りにされている感じがしました。 ですが、ファンが、自身の抱くモヤモヤ感から目を背けて現状を受け入れようとするのは、諦観の蔓延、ニヒリズムの一歩目だと思います。 そうなると現場の暴走を抑えられなくなる。 次代に繋げるという観点でも、そのモヤモヤ感も含めて伝えていかなければならないと思います。 そうした思いから、前回や今回のコメントを書かせていただきました。 ちょっと世間の喧騒に過剰に反応してしまったかな。 肯定派も、慣れない事態で監督の立場を示すのに懸命なのだろうし。 反省します。 以上です。 失礼いたしました。
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サッカーについて、あと一回だけ書かせてください。
まず、私は西野監督や選手達をこれ以上批判するつもりはありません。
試合中に実際にブーイングを受けたこと、そして西野監督が会見でコメントしたことで、「禊は済んだ」と思っています。
今はもう、次戦に向けて気持ちを切り替えて準備していってほしいと思います。
また、現場を経験した人ほど今回の判断を肯定的に見ているのも、そうだろうと思います。
大それた仮定ですが、私が代表監督なら、西野監督を模範とします。
決断力、意志疎通能力、そして批判を真摯に受け止める姿勢まで含めた上でです。
指導者は、ときとして悪魔に魂を売り渡すような決断を迫られることがあるのは承知しています。
しかし、だからこそ、ファンは良識のバランサーとして機能しなければならないと考えます。
現場は結果を得ることに意識が偏りがちです。
試合の中では、フェアかアンフェアか、きわどいシーンがたくさんあります。
当事者だけでバランスを保つのは無理だと思います。
「ルールの範囲内ならOK」
「審判に気付かれなければOK」
「罰則と引き換えに失点を防げればOK」
当事者だけでは、そうした行為が今よりあからさまに行われかねない。
それではサッカーの魅力を保つことはできません。
その歯止め役となるのが、「面白い試合を観たい」という素朴な想いを持ったファンの視線です。
だから、戦いを放棄したつまらないプレーにはブーイングすべき、と主張しました。
「次ステージに進むのもファンのため」という理屈も承知しています。
ですがやはりスポーツは目の前の一試合が基本単位だと思います。
観戦料も試合単位で設定されているし、詳しくないですがおそらくペイパービューもそうでしょう。
先を見据えてばかりいてはキリが無い。
毎試合観れる訳でもない。
「目の前のこの試合で戦ってくれ」という気持ちがファンとしては大事だと思います。
だから、もし現場が戦略上その気持ちに反する判断をするなら、今回のように批判を受け入れる覚悟でやってくれ、と思います。
「現場の感覚」は、1つの目的に焦点を当てたアンバランスなものです。
今回のような問題では、現場は現場の、ファンはファンの立場で見ていくべきだと思います。
ですが今のご時勢、結果を優先する「現場の感覚」は水戸黄門の印籠のように強い権威を持っています。
その流れの中で、ファンが現場の感覚に絡め取られていっているように感じました。
大部分の肯定派も持っているだろうモヤモヤ感が、置き去りにされている感じがしました。
ですが、ファンが、自身の抱くモヤモヤ感から目を背けて現状を受け入れようとするのは、諦観の蔓延、ニヒリズムの一歩目だと思います。
そうなると現場の暴走を抑えられなくなる。
次代に繋げるという観点でも、そのモヤモヤ感も含めて伝えていかなければならないと思います。
そうした思いから、前回や今回のコメントを書かせていただきました。
ちょっと世間の喧騒に過剰に反応してしまったかな。
肯定派も、慣れない事態で監督の立場を示すのに懸命なのだろうし。
反省します。
以上です。
失礼いたしました。