今週も配信ありがとうございます! お疲れ様です。 「ゴー宣」読みました。 最近、ゴー宣読者の友人と、過去のゴー宣シリーズについて 「あれは凄かった!」「20年以上経っているのに今の時世を予言しているかのような内容が凄い!」というような話をすることがあったのですが、 「ミス・アメリカが水着審査を無くす」というニュースを知った時に、 過去のゴー宣シリーズの、今週のライジングでも取り上げられている話が私も脳裏に過りました。 確か、教条的フェミニズムのおばちゃん達が、男性のイチモツに物差し(定規)を当てて測ってやろう、 ミスコンで審査員の男共が女性に対してやっていることは、そういうことなんだ! みたいな、変な歌みたいなのに合わせて主張している図が狂っていて滑稽だったのを思い出します。 あくまで「美だけ」で競うミスコンやイケメンの審査がダメだっていうのなら、 他にも「漫画の才能だけで」競う漫画賞や、「歌唱力だけで」競う歌のコンテストや、 「大食いの実力だけで」競う大食いコンテストや・・・様々なものが極論、ダメになってくる筈です。 何故、ミスコンだけが槍玉に挙げられるのか・・・いや、 「禁酒法」を生んだことがある「お国柄」ですし、 これが過剰なポリコレの行きつく先の一つの現れだということだと思います。 そして「反リベラルのマグマとなって、いつか爆発する時が来る」・・・という、 よしりん辻説法での小林先生の予言が当たって欲しくないのですが、 当たってしまいそうな恐ろしさがあります。 左派の自虐史観が世を席巻していた時代から、 ネトウヨ本が売れて、ネトウヨ系まとめサイトがアクセス数を伸ばす時代になってしまったという現実があります。 極端から極端に振り切れてしまう恐ろしさがあるのが、今の日本だと思います。 過剰なポリコレが全体主義化していけば、その反動がやってきてしまうと思います。 現に、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)は侮蔑のスラングが普通に飛び交い、感覚が麻痺して、 差別の温床のようになっていっていると思います。 ネトウヨ系まとめサイトも、SNSを利用する人がリンクを貼ったりすることが多いので、 その入り口に普通になっていっていると思います。 年配層だってそうです。 自称保守論壇誌を頻繁に読む年配層の情報源は、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)と似たような劣化した情報になっていますし、 50~60代の高齢のネトウヨ層も形成されつつあるようです(ネットで情報に触れた際の警戒心が、若者よりも希薄な人が多いのかも・・・)。 その一方で左派・自称リベラルはどうなのかというと、 あまり変わらないというか、同じような蛸壺化を辿っているので、 そこからまた極端に振り切れる人達が出て来ると思います。 右派も左派も、大きくバランスを欠いていると思います。 というか、どうして、どっちかにしかポジション取りが出来ないのでしょうか。 小林先生がギャグ漫画を描く時の精神のバランスの話をされていたゴー宣のエピソードが印象的でした。 常識の柱に命綱をつけて、そこからどれだけ飛べるか、という話だったと思います。 右に左に、極端から極端にブレる「大衆」は、常識の柱がグラグラしているのだと思います。 その常識の柱とは、自らの生活の現場に根差した柱だと思います。 共同体の繋がりから断ち切られてしまった者が、獣性を染み出し、殺人鬼や犯罪者になっていくということとも繋がりがあると思います。 最後のごーまんにあった、「男女平等」イデオロギーの危険性も、そのあたりにあるのだと思いました。 「トンデモ見聞録」読みました。 日本の人形文化というのは、確かにありますね。 リカちゃん人形とか、男の子の玩具の人形とかにも、その文化の影響が色濃くあると思いました。 「新八犬伝」「真田十勇士」「三国志」などのNHK人形劇は大好きでした。 私の世代ですと「紅孔雀」とか「新諸国物語 笛吹童子」とか「ひげよさらば」とか「プリンプリン物語」とか「地球防衛軍テラホークス」とかありました。 「サンダーバード」も再放送で見ていました。民放だと「Xボンバー」とか好きでした。 「球体関節人形」については、ヒーローもののフィギュアとかは好きで幾つか持っています。 他の人形についても、詳しくはないのですが、浅い知識としては知っていました。 私の個人的な趣味嗜好の話ばかりでスミマセン(汗)。 「ハンス・ベルメール」については、詳しく知りませんでした。 画像を見て、ギョッとしてしまいましたが、 しかし、物凄く背徳の気持ちがある一方で、そこに畏怖と共に不思議なものを感じてしまう自分も一方ではいました。 また、ベルメールがこうした作品を生み出すに至った背景を、泉美先生の文章で知って、 狂気の表現の奥に潜む「深さ」の一端のようなものを感じました。 こういう、人間の狂気をえぐってみせる表現を、悪しき表現として規制して、 それが最後にいきつくところに、のっぺりとした、表面上は誰も傷つかない(ようにみせた)ディストピアに世が変わっていってしまうことが恐ろしいです。 内面の自由を縛る「共謀罪」と共に、 過剰なポリコレに対する警戒心も持ち続けることが重要だと改めて思いました。 泉美先生の連載に、再び「お笑い砂金すくい」みたいな連載(「小説・わたくしの人たち」のような)が出来るようになることを密かに希望しつつ、 しかし、表現・芸術・芸術家の内面を抉ることで、人間の深淵に迫るような今回のような話も好きなので、 また楽しみにしております。
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今週も配信ありがとうございます!
お疲れ様です。
「ゴー宣」読みました。
最近、ゴー宣読者の友人と、過去のゴー宣シリーズについて
「あれは凄かった!」「20年以上経っているのに今の時世を予言しているかのような内容が凄い!」というような話をすることがあったのですが、
「ミス・アメリカが水着審査を無くす」というニュースを知った時に、
過去のゴー宣シリーズの、今週のライジングでも取り上げられている話が私も脳裏に過りました。
確か、教条的フェミニズムのおばちゃん達が、男性のイチモツに物差し(定規)を当てて測ってやろう、
ミスコンで審査員の男共が女性に対してやっていることは、そういうことなんだ!
みたいな、変な歌みたいなのに合わせて主張している図が狂っていて滑稽だったのを思い出します。
あくまで「美だけ」で競うミスコンやイケメンの審査がダメだっていうのなら、
他にも「漫画の才能だけで」競う漫画賞や、「歌唱力だけで」競う歌のコンテストや、
「大食いの実力だけで」競う大食いコンテストや・・・様々なものが極論、ダメになってくる筈です。
何故、ミスコンだけが槍玉に挙げられるのか・・・いや、
「禁酒法」を生んだことがある「お国柄」ですし、
これが過剰なポリコレの行きつく先の一つの現れだということだと思います。
そして「反リベラルのマグマとなって、いつか爆発する時が来る」・・・という、
よしりん辻説法での小林先生の予言が当たって欲しくないのですが、
当たってしまいそうな恐ろしさがあります。
左派の自虐史観が世を席巻していた時代から、
ネトウヨ本が売れて、ネトウヨ系まとめサイトがアクセス数を伸ばす時代になってしまったという現実があります。
極端から極端に振り切れてしまう恐ろしさがあるのが、今の日本だと思います。
過剰なポリコレが全体主義化していけば、その反動がやってきてしまうと思います。
現に、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)は侮蔑のスラングが普通に飛び交い、感覚が麻痺して、
差別の温床のようになっていっていると思います。
ネトウヨ系まとめサイトも、SNSを利用する人がリンクを貼ったりすることが多いので、
その入り口に普通になっていっていると思います。
年配層だってそうです。
自称保守論壇誌を頻繁に読む年配層の情報源は、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)と似たような劣化した情報になっていますし、
50~60代の高齢のネトウヨ層も形成されつつあるようです(ネットで情報に触れた際の警戒心が、若者よりも希薄な人が多いのかも・・・)。
その一方で左派・自称リベラルはどうなのかというと、
あまり変わらないというか、同じような蛸壺化を辿っているので、
そこからまた極端に振り切れる人達が出て来ると思います。
右派も左派も、大きくバランスを欠いていると思います。
というか、どうして、どっちかにしかポジション取りが出来ないのでしょうか。
小林先生がギャグ漫画を描く時の精神のバランスの話をされていたゴー宣のエピソードが印象的でした。
常識の柱に命綱をつけて、そこからどれだけ飛べるか、という話だったと思います。
右に左に、極端から極端にブレる「大衆」は、常識の柱がグラグラしているのだと思います。
その常識の柱とは、自らの生活の現場に根差した柱だと思います。
共同体の繋がりから断ち切られてしまった者が、獣性を染み出し、殺人鬼や犯罪者になっていくということとも繋がりがあると思います。
最後のごーまんにあった、「男女平等」イデオロギーの危険性も、そのあたりにあるのだと思いました。
「トンデモ見聞録」読みました。
日本の人形文化というのは、確かにありますね。
リカちゃん人形とか、男の子の玩具の人形とかにも、その文化の影響が色濃くあると思いました。
「新八犬伝」「真田十勇士」「三国志」などのNHK人形劇は大好きでした。
私の世代ですと「紅孔雀」とか「新諸国物語 笛吹童子」とか「ひげよさらば」とか「プリンプリン物語」とか「地球防衛軍テラホークス」とかありました。
「サンダーバード」も再放送で見ていました。民放だと「Xボンバー」とか好きでした。
「球体関節人形」については、ヒーローもののフィギュアとかは好きで幾つか持っています。
他の人形についても、詳しくはないのですが、浅い知識としては知っていました。
私の個人的な趣味嗜好の話ばかりでスミマセン(汗)。
「ハンス・ベルメール」については、詳しく知りませんでした。
画像を見て、ギョッとしてしまいましたが、
しかし、物凄く背徳の気持ちがある一方で、そこに畏怖と共に不思議なものを感じてしまう自分も一方ではいました。
また、ベルメールがこうした作品を生み出すに至った背景を、泉美先生の文章で知って、
狂気の表現の奥に潜む「深さ」の一端のようなものを感じました。
こういう、人間の狂気をえぐってみせる表現を、悪しき表現として規制して、
それが最後にいきつくところに、のっぺりとした、表面上は誰も傷つかない(ようにみせた)ディストピアに世が変わっていってしまうことが恐ろしいです。
内面の自由を縛る「共謀罪」と共に、
過剰なポリコレに対する警戒心も持ち続けることが重要だと改めて思いました。
泉美先生の連載に、再び「お笑い砂金すくい」みたいな連載(「小説・わたくしの人たち」のような)が出来るようになることを密かに希望しつつ、
しかし、表現・芸術・芸術家の内面を抉ることで、人間の深淵に迫るような今回のような話も好きなので、
また楽しみにしております。