議を封じて、有用と自分たちが認定したものだけを通用させる、それがナチスドイツの優生思想でしょう。ある意味究極の「差別」です。それに対し、ベルメールが行ったのは、人間の感性を信頼することでしょう。球体関節人形に不具の美を見出してしまうのが「人間」だ、と。無論、人形は人体を模したものですから、不完全な肉体にも美は宿る、五体満足健康なだけが価値なのか、という痛烈な社会批評にもなり得ます。 そして、人間の奥底には、こうした冒涜的なものに耽溺したいという浅ましい感性もある。しかし、その浅ましさこそが、己の正義を信じて疑わぬ偏狭な知性の対極にあるものではないでしょうか。健全な自己相対化を果たすためには、自他の持つ浅ましさや不完全さへの共感が必要不可欠だと思います。それが出来ないと、目的の為には手段を選ばない、己の正義の外にあるものへは残忍苛烈に振る舞っても構わない、同じ人間とさえ見做さない邪悪にはまり込むことになる。許されざる差別とはこうして生まれるものかもしれませんね。
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小林よしのりチャンネル
(ID:19522841)
議を封じて、有用と自分たちが認定したものだけを通用させる、それがナチスドイツの優生思想でしょう。ある意味究極の「差別」です。それに対し、ベルメールが行ったのは、人間の感性を信頼することでしょう。球体関節人形に不具の美を見出してしまうのが「人間」だ、と。無論、人形は人体を模したものですから、不完全な肉体にも美は宿る、五体満足健康なだけが価値なのか、という痛烈な社会批評にもなり得ます。
そして、人間の奥底には、こうした冒涜的なものに耽溺したいという浅ましい感性もある。しかし、その浅ましさこそが、己の正義を信じて疑わぬ偏狭な知性の対極にあるものではないでしょうか。健全な自己相対化を果たすためには、自他の持つ浅ましさや不完全さへの共感が必要不可欠だと思います。それが出来ないと、目的の為には手段を選ばない、己の正義の外にあるものへは残忍苛烈に振る舞っても構わない、同じ人間とさえ見做さない邪悪にはまり込むことになる。許されざる差別とはこうして生まれるものかもしれませんね。