>>M.Oさん ご意見をいただきありがとうございます。 いただいたご意見からもう一度考えたことを、記載したいと思います。 まず、前提として、私は「性的からかい」を、「一律、禁止」とは記載してません。 「原則禁止」ですので、キャバクラや、個人的に信頼関係のある人の間では、「性的からかい」を自由に行えば 良いと思います。 次に、「煙草」と「性的からかい」の点について、自分の考えを整理します。 私が、「煙草」と「性的からかい」が相似形だと考えているのは、(かつては)多数派かつ権力者側だった喫煙者と、少数派であった非喫煙者の関係と、「性的からかい」を行う多数派の男性と、「性的からかい」を受ける少数派の女性との関係です。 オフィスの机で自由に「煙草」を吸えた時代には、「煙い」、「臭い」、「不快」と言った「主観的な理由」で、少数派の非喫煙者が多数派の喫煙者に対し、煙草を吸うことを控えるように言うことは、「非常識」だと言われたと思います。 しかし、何十年もの時間の中で、今では、喫煙者が少数派になってしまう状況になりました。 喫煙をめぐる問題の中では、喫煙者の側から、「煙草はコミュニケーションの手段」とか、「ストレス解消」といった主張もありましたが、結局は喫煙は規制される方向に進んできました。 喫煙は制約されましたが、日本の中でコミュニケーション不足が怒ることも、煙草が吸えないことのストレスが問題になったこともないと思います(意見は分かれるかもしれませんが。) そこで、「性的からかい」の問題です。 まず、何が「セクハラ」に該当するかグラデーションがあるという問題ですが、これは、最狭義の「セクハラ」を「性的からかい」と定義したことで解決します。 「からかい」の時点で、基本的には、侮っている相手を軽く扱うニュアンスがあると思います。そのため、単なる世間話としての「髪切ったね」などは排除されるでしょう。 そして、ここが、私と、よしりん先生やM.Oさんと一番意見の分かれるところだと思うのですが、「性的からかい」が制約されることは、「人間のコミュニケーションの多様性」を奪うことになるが、これを許していいのかという問題です。 「性的からかい」を原則禁止することで、「人間のコミュニケーションの多様性」を奪う結果にはなると思います。 しかし、その多様性は、軽い「性的からかい」に対して、強く拒否できないほど弱い少数派の人達に我慢を強いてまで、守るべきものなのでしょうか。 日本には、イタリアのように「文化」として「性的からかい」を行う習慣もないと思います(だからこそ、一般の感覚とは異なるキャラクターをもっている高田純次が芸能人として人気があるのだと思います)。 そのため、日本における「性的からかい」は、どうしても守るべき多様性とまで言えないのではないでしょうか。 私は、社会には多数派と少数派の人達がいる以上、少数派の人達に対し個人の心構えとして「強くなれ」と言うこととは別にして、社会としては少数派の人達に配慮したルール作りが必要だと思っています。 そのため、私は、「性的からかい」は原則として禁止で良いと思います(但し、「性的からかい」を行ってしまったとして、あまりに大きなペナルティを受けるのは問題です)。 コミュニケーションの多様性として「性的からかい」を楽しみたい人は、お店や信頼関係のある女性との間で行えば良いと思います(喫煙者が喫煙所で煙草を吸うように。)。 「性的からかい」を原則禁止としたとしても、そこまで大きな問題はないと思うのですが、いかがでしょうか。
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>>M.Oさん
ご意見をいただきありがとうございます。
いただいたご意見からもう一度考えたことを、記載したいと思います。
まず、前提として、私は「性的からかい」を、「一律、禁止」とは記載してません。
「原則禁止」ですので、キャバクラや、個人的に信頼関係のある人の間では、「性的からかい」を自由に行えば
良いと思います。
次に、「煙草」と「性的からかい」の点について、自分の考えを整理します。
私が、「煙草」と「性的からかい」が相似形だと考えているのは、(かつては)多数派かつ権力者側だった喫煙者と、少数派であった非喫煙者の関係と、「性的からかい」を行う多数派の男性と、「性的からかい」を受ける少数派の女性との関係です。
オフィスの机で自由に「煙草」を吸えた時代には、「煙い」、「臭い」、「不快」と言った「主観的な理由」で、少数派の非喫煙者が多数派の喫煙者に対し、煙草を吸うことを控えるように言うことは、「非常識」だと言われたと思います。
しかし、何十年もの時間の中で、今では、喫煙者が少数派になってしまう状況になりました。
喫煙をめぐる問題の中では、喫煙者の側から、「煙草はコミュニケーションの手段」とか、「ストレス解消」といった主張もありましたが、結局は喫煙は規制される方向に進んできました。
喫煙は制約されましたが、日本の中でコミュニケーション不足が怒ることも、煙草が吸えないことのストレスが問題になったこともないと思います(意見は分かれるかもしれませんが。)
そこで、「性的からかい」の問題です。
まず、何が「セクハラ」に該当するかグラデーションがあるという問題ですが、これは、最狭義の「セクハラ」を「性的からかい」と定義したことで解決します。
「からかい」の時点で、基本的には、侮っている相手を軽く扱うニュアンスがあると思います。そのため、単なる世間話としての「髪切ったね」などは排除されるでしょう。
そして、ここが、私と、よしりん先生やM.Oさんと一番意見の分かれるところだと思うのですが、「性的からかい」が制約されることは、「人間のコミュニケーションの多様性」を奪うことになるが、これを許していいのかという問題です。
「性的からかい」を原則禁止することで、「人間のコミュニケーションの多様性」を奪う結果にはなると思います。
しかし、その多様性は、軽い「性的からかい」に対して、強く拒否できないほど弱い少数派の人達に我慢を強いてまで、守るべきものなのでしょうか。
日本には、イタリアのように「文化」として「性的からかい」を行う習慣もないと思います(だからこそ、一般の感覚とは異なるキャラクターをもっている高田純次が芸能人として人気があるのだと思います)。
そのため、日本における「性的からかい」は、どうしても守るべき多様性とまで言えないのではないでしょうか。
私は、社会には多数派と少数派の人達がいる以上、少数派の人達に対し個人の心構えとして「強くなれ」と言うこととは別にして、社会としては少数派の人達に配慮したルール作りが必要だと思っています。
そのため、私は、「性的からかい」は原則として禁止で良いと思います(但し、「性的からかい」を行ってしまったとして、あまりに大きなペナルティを受けるのは問題です)。
コミュニケーションの多様性として「性的からかい」を楽しみたい人は、お店や信頼関係のある女性との間で行えば良いと思います(喫煙者が喫煙所で煙草を吸うように。)。
「性的からかい」を原則禁止としたとしても、そこまで大きな問題はないと思うのですが、いかがでしょうか。