泉美木蘭のトンデモ見聞録・第81回「不条理のままに」 初めに少しだけ言っておくと、私は(自分の方を見ている鏡のようなめがねの話も含めて)泉美木蘭さんというかたを尊敬しています。アパートのおじさんの件も、マーブルチョコレートの件もご自身不快だったのだろうと思いましたが、そのおじさんたちのことを戯画化しつつも、温かく見つめられている視線が感じられて良かったです。 私のことをこの場で記すのはよくないことですが、自分にとって疑問なのは、世の中が不条理であるということよりも、「なぜ人はかくも怒りっぽいのだろうか」とか、「何をこの人たちは無気になっているのだろうか」というようなことです。単に自分がにぶいとか、物わかりが悪いというだけのことでしょうが、山口百恵の歌を借りるのなら、「怒鳴っているから、私もついつい大声になる」といった感じです。 要は、情況が、何が何だかさっぱり分からなかったりするわけです。あべあきゑ(これは揶揄だから、かうした表記を使ひます)ではないですが、子供のころは雨の精みたいなものがいて、雨が降っているみたいに感じたりもしたし、その一方で、ウルトラマンのジャミラを見ていて、「人間が宇宙へ行っただけで、なぜあんなに巨大化して、怪物みたいになるのだろうか」とか(今でも戦隊もの巨大化の論理はよく分からないです。なぜ最初から巨大化しないのか、とか)「真珠になったドラえもんを元に戻さないと、話が続かないじゃないか」とか「ルパン三世は最初の映画の際に、どのようにして助かったんだろうか」ということを説明して貰わないと気がすまなかったりしていたわけです。 論理とか筋立て、理屈はとても大事だと思います(「物語」には「設定」があるから、現実とは異なり、分かりやすく、不条理さは少ないです)。でも、そういうことを解説してくれる人は、そんなにいないですね。皆無に近いかも知れない。だから、よしりん先生のような漫画にひかれるのだろうと思います。 先だってのライジングで、「空気を感じても無視するのが大物で、感じられないのは莫迦だ」とありましたけれども、私にとっては空気とは「考え、推理し、当てるもの」のように感じられます こうしたことばかり言っていると、大部分の人は「分かった、あんたは理屈っぽい」というふうに言われたりします。だから、世間一般の人はきっとあまり深く何かを考えたりせずに世の中を受け入れたりしているのかも知れない。むしろとやかく異を唱えたりする方がおろかなのかも知れない。だから沈默している方が賢い、みたいに思うわけです。 それでも、「考えれば分かるだろう」とか「常識なんだから」というのは、まわりの方なんですよね。それって、明らかに矛盾していませんか?一方で考えることを強要しておいて、他方で考えることを放棄して、ありのままに受け入れろ、と言うのは? そして、一方で空気を読め、といいながらも、自分がそういう配慮をして貰いたい時は周りは何もしない。そのことも不公平に感じられます。 あるいは他者にそうした見返りや何かを期待するのが間違っているのか、甘えなのか、とも感じたりもするのです。 あまりたいした問題提起にはならないと思いますが、いちおう記してみました。私自身は世の中はよくなって欲しいし、人間はよりよくかわっていって欲しいと願うので、「かのようなもの」とあきらめるだけではなしに、発言し、行動していって欲しいです。
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泉美木蘭のトンデモ見聞録・第81回「不条理のままに」
初めに少しだけ言っておくと、私は(自分の方を見ている鏡のようなめがねの話も含めて)泉美木蘭さんというかたを尊敬しています。アパートのおじさんの件も、マーブルチョコレートの件もご自身不快だったのだろうと思いましたが、そのおじさんたちのことを戯画化しつつも、温かく見つめられている視線が感じられて良かったです。
私のことをこの場で記すのはよくないことですが、自分にとって疑問なのは、世の中が不条理であるということよりも、「なぜ人はかくも怒りっぽいのだろうか」とか、「何をこの人たちは無気になっているのだろうか」というようなことです。単に自分がにぶいとか、物わかりが悪いというだけのことでしょうが、山口百恵の歌を借りるのなら、「怒鳴っているから、私もついつい大声になる」といった感じです。
要は、情況が、何が何だかさっぱり分からなかったりするわけです。あべあきゑ(これは揶揄だから、かうした表記を使ひます)ではないですが、子供のころは雨の精みたいなものがいて、雨が降っているみたいに感じたりもしたし、その一方で、ウルトラマンのジャミラを見ていて、「人間が宇宙へ行っただけで、なぜあんなに巨大化して、怪物みたいになるのだろうか」とか(今でも戦隊もの巨大化の論理はよく分からないです。なぜ最初から巨大化しないのか、とか)「真珠になったドラえもんを元に戻さないと、話が続かないじゃないか」とか「ルパン三世は最初の映画の際に、どのようにして助かったんだろうか」ということを説明して貰わないと気がすまなかったりしていたわけです。
論理とか筋立て、理屈はとても大事だと思います(「物語」には「設定」があるから、現実とは異なり、分かりやすく、不条理さは少ないです)。でも、そういうことを解説してくれる人は、そんなにいないですね。皆無に近いかも知れない。だから、よしりん先生のような漫画にひかれるのだろうと思います。
先だってのライジングで、「空気を感じても無視するのが大物で、感じられないのは莫迦だ」とありましたけれども、私にとっては空気とは「考え、推理し、当てるもの」のように感じられます
こうしたことばかり言っていると、大部分の人は「分かった、あんたは理屈っぽい」というふうに言われたりします。だから、世間一般の人はきっとあまり深く何かを考えたりせずに世の中を受け入れたりしているのかも知れない。むしろとやかく異を唱えたりする方がおろかなのかも知れない。だから沈默している方が賢い、みたいに思うわけです。
それでも、「考えれば分かるだろう」とか「常識なんだから」というのは、まわりの方なんですよね。それって、明らかに矛盾していませんか?一方で考えることを強要しておいて、他方で考えることを放棄して、ありのままに受け入れろ、と言うのは?
そして、一方で空気を読め、といいながらも、自分がそういう配慮をして貰いたい時は周りは何もしない。そのことも不公平に感じられます。
あるいは他者にそうした見返りや何かを期待するのが間違っているのか、甘えなのか、とも感じたりもするのです。
あまりたいした問題提起にはならないと思いますが、いちおう記してみました。私自身は世の中はよくなって欲しいし、人間はよりよくかわっていって欲しいと願うので、「かのようなもの」とあきらめるだけではなしに、発言し、行動していって欲しいです。