今週も配信ありがとうございます! お疲れ様です。 「ゴー宣」読みました。 ライジングの「ゴー宣」を読んだ後、 以前に読んだ「よしりん辻説法」の「寝言にME TOO」を読み返してみましたが、 テーマが繋がっているところもあって、興味深かったです。 そして、私も麻生財務相に対しては今までずっと否定的に見ていたところがあったので、 この回の「ゴー宣」も含め、これまでの有料ブログ(ライジング)、無料ブログを読んで来て、 一連のセクハラ、セクハラ+パワハラ・・・等々の問題に関して、 改めて考え直すきっかけになりました。感謝です。 ラテン文化+カトリックのフランスも、 グローバリズムで世を席巻していっているアメリカの風潮 (ピューリタニズム、ポリティカル・コレクトネスなど)の大きな波に飲み込まれようとしている、 その中で大きく揺れている、 ということが分かりました。 日本でも、AKB48河西智美の手ブラ写真への批判が持ち上がった時に、 西欧の感覚が、日本の感覚を壊してしまっていっているところがある、ということを、 ゴー宣で描いておられたのを思い出しました。 「多様性を認める」という真のリベラルの姿勢からも、 「麻生太郎氏の昭和の爺さん的な感覚は排除せよ」というのはおかしい訳ですが、 麻生太郎氏の感覚の中に、日本の縦の歴史軸からの感覚があるとすれば、 (本人は無自覚だったとしても) それはバランスを重んじる、本来の保守の感覚に通じるものなのかもしれないのかな、と考えております。 だとすれば、過剰なピューリタニズムが全体主義と化していく中で、 それに対抗する防波堤的な発言を、麻生氏はしていた、と考えることも出来るなあ、と。 フランスでも若年層と年配層の考えの差があるようで、 カトリーヌ・ドヌーヴの考えは、古き良きフランスの感覚に近いのかもしれません。 私もフランスの事情には全く疎いので、 ゴー宣を通じて知るところが大きいのですが・・・。 そして、フランスのセクハラ罪に纏わる話の中で、フランスの「憲法院」の話を読んで、 改めて、山尾議員が提唱する立憲的改憲の中での「憲法裁判所」の役割の重要性を認識した次第です。 いろいろと考えさせられるところもある、いつも以上に読み応えのあるブログでしたが、 ギャグを忘れないところが小林先生の文章を読んでいて、いつも楽しみなところです。 「トンデモ見聞録」読みました。 泉美先生の今までの人生が凄過ぎて、読みながら、言葉を無くしていってしまったのですが、 一方で、ロダンやカミーユの生涯を「トンデモ見聞録」で読んだ時のように、 「すげえなあ・・・」と、読み物として読んでいる自分も、自分の中にはあって、 何とも言えない気持ちでした。 そして、表現を生業としている作家さんの、凄みのようなものを感じました。 しかし、最後に泉美先生が締め括っているような境地に至るまでに、 この手記を読んだ、いち読者の自分が想像する以上の紆余曲折がリアルにあったのだろうな、と思いました。 フィリップ・マーロウの 「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」 (人はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない) という言葉も、脳裏を過りました。 でも、不条理な目にあったら、やっぱり他者へもつい、不条理に対応してしまいがちです。 聖人君子みたいな人間なんて滅多にいません。 自分自身のことを省みると、全然、人間も出来ていないし、身勝手だし、甘えてるし、卑屈だし・・・。 しかし、自分自身のみっともなさを恥じつつも、 改めて、今回の泉美先生の「トンデモ見聞録」を読んだり、 伊藤詩織さんの「BLACK BOX」を読んだり(左派の人には愛読者や支援者も多いのでしょうけれども)した後で、 福田前事務次官に「セクハラ」された女性記者のケースを考えると、 福田前事務次官を吊し上げろ!と叫んでいる人達の異常さが、ますます浮き彫りになるように思いました。 女性差別が根底にある問題でも、レイプなどの重罪は厳罰に処されるべきですし、 小児性愛などの異常性愛を実行に移すような卑劣漢、異常者も厳罰に処されるべきです。 しかし、マナーやモラルの問題として、バランスを取りながら時代に合わせて変えて行かなければならないこと、というものもあり、 それは言葉によるセクハラや、パワハラと結びついているようなセクハラになるでしょう。 男尊女卑に過ぎない因習も、縦の歴史を丁寧に紐解いていけば、 それが「伝統」ではなく「因習」だということが分かることもあります。 社会の横軸、歴史の縦軸、双方から考えるという構えは、難しいところもありますが、大事だなと思う次第です。 近代化されれば人は進歩していく、というものでもないですし、 西欧に比べて日本は遅れている、という発想も、既にアナクロニズムかもしれません。 法による厳罰化が、かえって潔癖主義のディストピアを生んでしまうようなものもあり、 一つ一つのケースに応じた、細やかな対応が必要ですし、 中には、心の奥深くに傷を負うような体験をしている人の中にも、 自分の中でそれを糧として、敢えて前に進むことを選択された人もおられる訳ですから。 勿論、誰もがそういう風になれる訳でもなく、折れてしまったり、潰れてしまう人も多々いるだろうとも思うのですが。 うまく言えませんが、そんなことを考えました。 追伸:Q&A回答ありがとうございます。 やっぱり自分は元々、漫画好き、漫画オタクなので、 憧れの漫画家さんとして、小林先生に質問してみたかったことを質問させて戴きました。 SPA!のゴー宣の感想はまた後程改めまして。 今夜は「オドレら正気か?」生放送ですね。 そして、九州ゴー宣道場の応募締め切りまであと2週間ですね。
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今週も配信ありがとうございます!
お疲れ様です。
「ゴー宣」読みました。
ライジングの「ゴー宣」を読んだ後、
以前に読んだ「よしりん辻説法」の「寝言にME TOO」を読み返してみましたが、
テーマが繋がっているところもあって、興味深かったです。
そして、私も麻生財務相に対しては今までずっと否定的に見ていたところがあったので、
この回の「ゴー宣」も含め、これまでの有料ブログ(ライジング)、無料ブログを読んで来て、
一連のセクハラ、セクハラ+パワハラ・・・等々の問題に関して、
改めて考え直すきっかけになりました。感謝です。
ラテン文化+カトリックのフランスも、
グローバリズムで世を席巻していっているアメリカの風潮
(ピューリタニズム、ポリティカル・コレクトネスなど)の大きな波に飲み込まれようとしている、
その中で大きく揺れている、
ということが分かりました。
日本でも、AKB48河西智美の手ブラ写真への批判が持ち上がった時に、
西欧の感覚が、日本の感覚を壊してしまっていっているところがある、ということを、
ゴー宣で描いておられたのを思い出しました。
「多様性を認める」という真のリベラルの姿勢からも、
「麻生太郎氏の昭和の爺さん的な感覚は排除せよ」というのはおかしい訳ですが、
麻生太郎氏の感覚の中に、日本の縦の歴史軸からの感覚があるとすれば、
(本人は無自覚だったとしても)
それはバランスを重んじる、本来の保守の感覚に通じるものなのかもしれないのかな、と考えております。
だとすれば、過剰なピューリタニズムが全体主義と化していく中で、
それに対抗する防波堤的な発言を、麻生氏はしていた、と考えることも出来るなあ、と。
フランスでも若年層と年配層の考えの差があるようで、
カトリーヌ・ドヌーヴの考えは、古き良きフランスの感覚に近いのかもしれません。
私もフランスの事情には全く疎いので、
ゴー宣を通じて知るところが大きいのですが・・・。
そして、フランスのセクハラ罪に纏わる話の中で、フランスの「憲法院」の話を読んで、
改めて、山尾議員が提唱する立憲的改憲の中での「憲法裁判所」の役割の重要性を認識した次第です。
いろいろと考えさせられるところもある、いつも以上に読み応えのあるブログでしたが、
ギャグを忘れないところが小林先生の文章を読んでいて、いつも楽しみなところです。
「トンデモ見聞録」読みました。
泉美先生の今までの人生が凄過ぎて、読みながら、言葉を無くしていってしまったのですが、
一方で、ロダンやカミーユの生涯を「トンデモ見聞録」で読んだ時のように、
「すげえなあ・・・」と、読み物として読んでいる自分も、自分の中にはあって、
何とも言えない気持ちでした。
そして、表現を生業としている作家さんの、凄みのようなものを感じました。
しかし、最後に泉美先生が締め括っているような境地に至るまでに、
この手記を読んだ、いち読者の自分が想像する以上の紆余曲折がリアルにあったのだろうな、と思いました。
フィリップ・マーロウの
「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」
(人はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない)
という言葉も、脳裏を過りました。
でも、不条理な目にあったら、やっぱり他者へもつい、不条理に対応してしまいがちです。
聖人君子みたいな人間なんて滅多にいません。
自分自身のことを省みると、全然、人間も出来ていないし、身勝手だし、甘えてるし、卑屈だし・・・。
しかし、自分自身のみっともなさを恥じつつも、
改めて、今回の泉美先生の「トンデモ見聞録」を読んだり、
伊藤詩織さんの「BLACK BOX」を読んだり(左派の人には愛読者や支援者も多いのでしょうけれども)した後で、
福田前事務次官に「セクハラ」された女性記者のケースを考えると、
福田前事務次官を吊し上げろ!と叫んでいる人達の異常さが、ますます浮き彫りになるように思いました。
女性差別が根底にある問題でも、レイプなどの重罪は厳罰に処されるべきですし、
小児性愛などの異常性愛を実行に移すような卑劣漢、異常者も厳罰に処されるべきです。
しかし、マナーやモラルの問題として、バランスを取りながら時代に合わせて変えて行かなければならないこと、というものもあり、
それは言葉によるセクハラや、パワハラと結びついているようなセクハラになるでしょう。
男尊女卑に過ぎない因習も、縦の歴史を丁寧に紐解いていけば、
それが「伝統」ではなく「因習」だということが分かることもあります。
社会の横軸、歴史の縦軸、双方から考えるという構えは、難しいところもありますが、大事だなと思う次第です。
近代化されれば人は進歩していく、というものでもないですし、
西欧に比べて日本は遅れている、という発想も、既にアナクロニズムかもしれません。
法による厳罰化が、かえって潔癖主義のディストピアを生んでしまうようなものもあり、
一つ一つのケースに応じた、細やかな対応が必要ですし、
中には、心の奥深くに傷を負うような体験をしている人の中にも、
自分の中でそれを糧として、敢えて前に進むことを選択された人もおられる訳ですから。
勿論、誰もがそういう風になれる訳でもなく、折れてしまったり、潰れてしまう人も多々いるだろうとも思うのですが。
うまく言えませんが、そんなことを考えました。
追伸:Q&A回答ありがとうございます。
やっぱり自分は元々、漫画好き、漫画オタクなので、
憧れの漫画家さんとして、小林先生に質問してみたかったことを質問させて戴きました。
SPA!のゴー宣の感想はまた後程改めまして。
今夜は「オドレら正気か?」生放送ですね。
そして、九州ゴー宣道場の応募締め切りまであと2週間ですね。