配信お疲れ様です。初夏というには暑い日でしたね。 もくれんさんの記事、しみじみと来るものがありますね。いつだったか、職場でお客さんと話したときに、その方が台湾の本省人の方でしたが、なかなか辛い目にあってきたという話をされたんですね。でも恨みがましいということはなく、最後に一言、「宿命だから」と笑って話されました。宿命という古いことばが、現代でもまだ人の中で生きているのだ、と感銘を受けた瞬間でした。 所詮運命だと諦めたり呪ったりするではなく、宿命としてあらゆる全てを我が事のように引き受ける強さ。古人が持っていた美風というのは、社会の理不尽を諾々と受け入れる無気力にではなく、それを覚悟して対峙する作法にこそあったのでしょう。近代の進歩思想は、理不尽は社会改良が進まないから存在するものだ、と規定してしまった。だから、実現しない遠いユートピアを夢見ながら、諦念の内に生を終えるのが人間だ、というニヒリズムが世の中を覆ってしまったように思えます。現実には、どれだけ先の世の中でも理不尽を消し去ることは出来ない。それに対して自分の生をどう位置づけるか、がその人なりの生き方を形作っていくのだと思います。それが、生きた、ということになるのではないでしょうか。
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小林よしのりチャンネル
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配信お疲れ様です。初夏というには暑い日でしたね。
もくれんさんの記事、しみじみと来るものがありますね。いつだったか、職場でお客さんと話したときに、その方が台湾の本省人の方でしたが、なかなか辛い目にあってきたという話をされたんですね。でも恨みがましいということはなく、最後に一言、「宿命だから」と笑って話されました。宿命という古いことばが、現代でもまだ人の中で生きているのだ、と感銘を受けた瞬間でした。
所詮運命だと諦めたり呪ったりするではなく、宿命としてあらゆる全てを我が事のように引き受ける強さ。古人が持っていた美風というのは、社会の理不尽を諾々と受け入れる無気力にではなく、それを覚悟して対峙する作法にこそあったのでしょう。近代の進歩思想は、理不尽は社会改良が進まないから存在するものだ、と規定してしまった。だから、実現しない遠いユートピアを夢見ながら、諦念の内に生を終えるのが人間だ、というニヒリズムが世の中を覆ってしまったように思えます。現実には、どれだけ先の世の中でも理不尽を消し去ることは出来ない。それに対して自分の生をどう位置づけるか、がその人なりの生き方を形作っていくのだと思います。それが、生きた、ということになるのではないでしょうか。